2009年12月1日火曜日

トゥール・スレン in Phnom penh

カンボジアのポルポト政権という名前は、どこかで聞いたことがあるという人も多いのではないかと思う。ポルポトの行った大量虐殺は世界的にも有名で、ポルポト氏を代表とするクメール・ルージュが政権を握っていたのは、ベトナム戦争終了後の1975年から79年までのわずか5年間であるが、その間に170万人(カンボジア人口の21%)が殺されたとされている。僕が生まれるほんの少し前までそのようなことが実際に起きていたのだ。

トゥール・スレンはもともとは学校だった。ポルポト氏の命令によって施設にフェンスを設け、S-21と呼ばれる刑務所に変更され、そこでは検閲、拷問、そして殺人が行われたとされる。

ここを訪れたときにはなんだか体が重くなって気分が悪くなってしまった。そこには写真や、実際そのS-21にいた人が描いた絵などがあるのだけれども、絵を見なくても雰囲気からなんかここにはいづらいものを感じた。いくつかの独房の床にはまだ血らしきものも残って見えていた。

このような虐殺は人間の歴史上なんどか行われてきているが、ポルポト氏が政権を取ったのは、虐殺を行うことが目的だったのではないと思う。彼が目指したのは「人間の改造」だったとされる。
腐敗しがちな従来の人間を「労働」によって改造することで、共産主義にふさわしい存在に変え、豊かな社会を作る、という考え方をもとに新たな人間社会を目指したのではないだろうか。最初からただ多くの人々を殺そうと思っていたわけではないはずだ。

そして、ポルポト時代に改造の対象とされたのは貧しい農民であり、知識階級は余計な知識を持ちすぎていたり、金持ちは自分の財力に執着を持っているという理由で多くの「ブルジョア」を殺していった。
ポルポト氏自身がフランスやソ連に留学し、共産主義を勉強し、政治に目覚めていったことを考えるとそういった「ブルジョア」を粛清したことは自己矛盾しているように見える。

トゥール・スレンは今は博物館として、過去の校舎をそのまま利用して建てられているがこういったものが忘れ去られないように過去の形のまま残されるということは重要なことだと思う。僕もこの地に立って過去に何があったのかを知ることができたし、なぜそのようなことが起きたのか今一度個人的に考えるきっかけを作ってくれた。



[移動] Siem Reap - Phnom penh
[交通手段] バス
[価格] $4
[サービス] エアコン
[時間] 8:00 - 14:00

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