2011年5月31日火曜日

気がついて見れば、5月ももう終わり。

農場のイチゴはもう取り終えて、
片付けに入りました。

が、うちのイチゴは近頃になって、
ようやく実がなるようになりました。

中国に行ったり、
収穫で忙しくて水をやる暇がなかったりで、
かなり瀕死の状況に追い込んでしまいました。

春になって温度があがり、
急激に木が大きくなっていってようやく
実を付けました。

まぁ農場のように甘くはないですが、
なかなかのできです。

2011年5月28日土曜日

祝!旅本完成

数か月前に、旅友達からちょっとお声がかかった旅本企画。
旅人達それぞれに自由にページを作ってもらい、それを集めた本

残念ながら原稿締め切り時期がちょうど
収穫時期のピークに重なってしまい、
書きたかったけどあきらめてしまった。
あのころは朝起きて、
帰ってきたら寝るだけで精いっぱいだった。。

でも、できあがりを見たら寝る間を惜しんででも
参加するべきだったかなぁと、ちょっと後悔。

チェンマイで会ったかよこがいい写真載せてんだよなー。
知り合いがやったからとか、お世辞じゃなくてすごいクオリティでした。

旅本のコンセプトはここ
自費なので一般の書店で販売されてませんが、高円寺のビレッジバンガードで販売される予定??

今日は、その旅本の完成披露会的なパーティー
チェンマイで会った友達と一緒に参加したのだけれど、
そこには、なんとケニアで会った人たちにも!
こんな偶然ってあるもんなんだね。

そのケニアで会った人たちってのは、まさにblogに書いた人たち。

2人のうち1人はすぐにわかったんだけど、
パスポートをなくしてしまった”まさ”は全然認識できなかった。
同じ”まさ”だったんだけども。
なんせあの頃の彼はひげもじゃだったからね。
アフリカは人を変えます。

反対に俺も全然気づいてもらえなくて、、
ひげ生やしてルンペンみたいでしたよーなんて言われちゃいました。笑
やっぱりアフリカは人を変えます。
もうちょい旅の間もおしゃれに気を使うべきだったかな。

彼らはあのあと昆布茶に勇気づけられながらも
無事に旅を続けられたようで
よかったよかったっていう話です。

今日は、チェンマイで一緒に旅したマレーシア在住アメリカ人とも
一緒に合流したりと、久々になんだかいろんな人に
会って話せて東京の良さを感じる日だった。

旅を思い出して、また旅に出たいけど、
今は旅に行けないのがもどかしいな。

2011年5月27日金曜日

収穫終了

11月の末から始めたイチゴの収穫も
今日でようやく終了。

収穫は、朝から何時間腰を曲げていなければならない。
それが毎日続く。
1週間とか、1か月ならそれほどのことでもないけど、
さすがに半年続いてきたので、
5月は腰がきつかった。

農家にとって体は資本。
腰を壊してしまったら仕事にならないから、
ケアしながらもがんばらないとね。

春のイチゴは、冬のイチゴとは全然様子が違う。
温度も上がって、日差しも強くなる。

冬場はぐっとまとまっていたイチゴたちが
一斉に大きくなっていく。
葉柄が伸びて、葉っぱが広がり、
葉っぱをかき分けて収穫しなければならなかった。
さらに、病気や虫も出てきたり。

一時的にイチゴの味が薄くなったりしたこともあったけど、
最後の方は味が戻ってきてちょっとびっくり!
そんなイチゴたちも、半年間頑張ってきてくれたので
ありがとうの気持ちをこめて作は終了。

すでに来作のために、
親苗には子苗たちが付き始めているけれど、
今作はやりきりました!

2011年5月13日金曜日

外干し解禁

今年はかなり花粉症がきつかった。

なんせ、実家の周辺には杉が
わんさか植えられてましたんで、
物心つく頃にはすでに花粉症。

去年はアフリカ大陸に
いたもんだから花粉のことは
気にしなかったんだけどね。
あれからもう1年もたつなんて、
時がたつのは早いもんだね。

今日はお休みで、
いつもどおり午前中に家事をすませた。
休みなのに6時に起きてしまうのは
体が慣れてしまったからか。
もちろん早く起きた分は昼寝するけど。

選択が終わった後、
3月以降はずっと部屋干しだったけど、
今日から外干し解禁!
もうそろそろ花粉症も大丈夫っしょ。
洗濯物を外に干すなんて
なんてことないことなんだけど、
どれだけ待ち望んだことか。
今日は布団もふかふかで寝られる。

最近はカエルの鳴き声も
よく聞こえるようになってきた。
田舎暮らしって四季が
感じられることが多い。

2011年5月2日月曜日

風が。。

最近の風、強すぎ。。

ビニールハウスは
そんなに頑丈じゃないのよ。

ビニールハウスはご存じのとおり、
鉄骨にビニールが張られてるだけです。
風にあおられると結構弱い。

農場で使っているハウスは
屋根やサイドが開閉式になってます。
普段は問題ないんだけど、
風はねぇ、、

ちゃんと締め切っているのにもかかわらず、
下や横から煽られて
ビニールがバサバサ。

それがひどくなると鉄骨が
曲げられたり、ビニールはがれちゃったり。
見事に仕事を増やしてくれます。
これも勉強。
ありがたいと思わないとね。
自然の力って改めてすごいって思いますわ。

さて、最近は親苗も大きくなってきた。
親苗をナイアガラに移設中でっす。
これからランナーを伸ばして
子供たちを付けてもらいます。
あと1カ月かそこらで子苗ができるのかぁ。
収穫もあと1か月。
早いもんだねー。

2011年4月21日木曜日

金1500ドルを突破

金価格の上昇がなかなか止まらない。
歴史的な高値を更新し続ける金は、
先日1500ドルの大台を突破した。

ちなみに1500ドルは1オンスの値段。
1971年のニクソンショックの前までは
金1オンスで35ドルだった。
この40年でドルの価値は1/40程度になったことになる。

この原因はQE2(量的緩和)によるドルの大量発行、
原油高によるインフレーション、
S&Pの米国債格付け見通しの引き下げ
(AAAポジティブからAAAネガティブへ)
などなど。

S&Pはアメリカの格付け会社で
サブプライム問題の生みの親みたいなもだ。
数か月前には日本国債を格下げしたが、
下がり続けるドルを下支えするため
だったという疑いがある。
そもそも日本の債務状況が悪いのは
すでにわかりきったことだ。
さらに米国の債務状況を見ても
いまだにAAAなどとよく言ってられるもんだ。
格下げされるのは必然的だが、
アメリカの格付け会社であるS&Pが
どのように格下げの発表をしていくのかは見ものだろう。

先日、ドル円については
円高傾向が終了したか、
もしくはその終了が近いかもしれないと書いた。

けれども、ひっかかることが1つある。
それは、米国債はいずれ債務不履行になるだろう
とも考えているということだ。

その時にドル円がどうなるのか、
その見通しが難しい。

要するにドルもダメなんだけど、
それに追づいするようなことをしてる
日銀の円もダメなんじゃないのってことだ。

ドルや円に比べるとユーロはもう少しマシかもしれないけど、
PIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)などの
債務の問題や、ドイツとフランスが仲悪くなってたり、
こっちも不安要素が多い。

そしたらどうすればいいのか。
史上最高値を更新中ではあるものの、
やっぱり金を持つべきではないだろうか。

金を持つことは保険だとも考えられる。
海外旅行保険とか、
火災保険とか、
地震保険とか、
万が一に備えて保険に入っている人はたくさんいるはず。

だから万が一の急激なインフレーションに備えて
金や銀など実物資産を保険だと思って持っておく。
こう考えている人はどのくらいいるだろう?
まわりのみんなが持ち始めたらそれはバブル。
今、金を買っている人がどのくらいいるだろうか。

保険に入ってて、けがをしなくてもいいじゃない。
でもけがをしたら保険に入っててよかったって思うでしょ。

それと同じように金を持っててインフレにならなくてもいいじゃない。
でもインフレになったら金が役に立つよ、きっと。

2011年3月29日火曜日

世界から見た日本

福島ではついにプルトニウムまで発見されて、
状況は収まるどころか悪化しているように思われる。
東電はお手上げで、原子力について先進国のフランスに
助けを求めているという記事まである。

そういえば今回の地震、
東北関東大震災なのか、東日本大震災なのか、
NHKと民法で呼び方が違うし、
いったいどっちなんだろ?

今回の大震災について、
日本は世界から注目を浴び、
世界の人々が応援してくれている。
台湾なんて、あの小さな国が
3億円もの義援金を寄付してくれるという。

Facebookでも多くの友達が
日本のことを心配し、
声をかけてくれた。

あらためて気づくことは
関心を持ってもらえるということは
それだけで大変心強いということだ。

逆に考えると僕は、
世界の人たちに対して
どれだけの関心を持っていたのだろうか。

今、この日本の大地震と同時期に
同じかそれ以上の注目を浴びているのは、
リビアの内戦だろう。

少し前に触れたように
リビアではカダフィ大佐の政府軍と、
それに対抗する反政府軍の内戦が続いている。
国連安保理ではリビア市民保護を目的に
NATO軍が結成されているが、
NATO軍は明らかに反政府側について、
戦争に参加している。
これは内政干渉に他ならない。

この内戦の被害を受けている人たちに対して
自分はどれだけ思いを寄せているのだろうか。
まずは関心を示すこと、それくらいはやっていきたいと思う。

今は震災後だし、被災者の方々の心配をすることは
当然のことだと思うし、何かできることをしたいと思う。

自分が今のところできたことは募金くらいだろうか。
今、東北に行っても邪魔になってしまうだけだし、
もう少し落ち着いてきたら行ってみようと思う。