2009年12月31日木曜日

雨のタムコック in Ninh Binh

Hueから12時間ほど、Ha Noiの一歩手前の街Ninh Binhでバスを降りて、Tam Coc(タムコック)と呼ばれる景勝地を回った。この日は昨日から雨が降り続き、小降りなのだけれど、全体的に霧に包まれていて今まで旅をして回っていた中でも最悪のコンディションだった。
僕はたまたま同じバスに乗っていた中国在住の日本人旅行者と一緒に自転車を借りて回った。後で分かったことだが彼が学生時代に過ごした場所が僕の出身地と同じで、ローカルトークを弾ませてしまった。昨日に引き続き、ほんとにいろんな出会いがあるものだ。

タムコックの景色は、ハロン湾や中国の桂林に似ているような気がする。(2箇所とも写真でしか見たことないんだけれど。)ゆったりとした川の流れの中から奇岩渓谷の景色を眺めることができた。船を借りなくても景色は見られるのだけれど、船に乗ると鍾乳石の洞窟を潜り抜けることができる。潜り抜けた後は360度すべてを奇岩渓谷に囲まれ、不思議な世界に来たかのようだ。正直、天気がよくなかったので最高だったとは言えないものの、もし天気がよかったらかなりいい景色だっただろうと思う。今まであまり天気に悩まされることがなかっただけに非常に残念だ。

タムコックを見た後、古都ホアルーというNinh Binh近辺ではもう1つ有名なところに向かったのだが道に迷って見つからず。。結局泥だらけになって、荷物を置かせてもらった宿に戻ってきた。今年最後の観光がどろだらけになって自転車に乗りまわっているとは、自分らしいといえば自分らしいかも。

今年は特にいつもの年以上にいろいろな人にお世話になってしまった。来年もどうぞよろしくお願いいたします。


[移動] Hue - Ninh Binh
[交通手段] ツアーバス
[価格] 130,000VND
[サービス] エアコン
[時間] 18:00 - 6:00

[観光] Tam Coc
[交通手段] 手漕ぎボート
[入場料] 30,000VND
[ボート料金] 60,000VND/一隻(最大4人乗りくらいかな)
[時間] 約2時間
[サービス] おみやげの押し売り、チップの要求

2009年12月30日水曜日

ベトめしはやっぱうまいっす in Hue

この旅にして2度目のフエ。またフエに来たの?って言われてしまうかもしれないが、今回はバスの乗り継ぎのために少しいるだけで、お世話になったゲストハウスに挨拶に行って、Che Hemでチェーでも食べればいいかなと考えていた。

旅というのはけっこう面白いことが起きるものでいろいろな職業の人にであったりする。Hoi AnからHueへのバスで日本人の方と隣になった。仕事が写真家ということで、Hoi Anでもイギリスの写真家と一緒にご飯を食べたり、写真家によく会うなぁなどと思っていた。もう少し聞いてみるとベトナムに住んでいたことがあったり、ベトナムの料理に関してはかなり詳しいようだったので、オススメのおいしいレストランを尋ねてみた。すると、なんだか僕が行ったことがあるようなレストランがいくつか含まれていたりして妙だなぁと思っていたのだが、実は隣その人は本も書いていて、僕が旅のめし本として使用していた本の著者だったのだ!

僕はその本をけっこうちゃんと読んでいて、著者のプロフィールとかも知っていたので、そう言われてみれば話がしっくりくるなという感じだった。
結局、Hueでは福井さん家族と一緒に、うまいめしをごちそうになってしまい、思った以上に楽しい時間を過ごさせてもらった。



[移動] Hoi An - Hue
[交通手段] ツアーバス
[価格] 55,000VND
[サービス] エアコン
[時間] 7:30 - 12:30

2009年12月29日火曜日

灯篭流し in Hoi An

旅を少し急ぎ目に、Mui Ne(ムイネー)、Nha Trang(ニャチャン)と泊まずにバス泊で回ってきたが、ようやくHoi An(ホイアン)に到着して一泊することにした。

Hoi Anは日本で言えば京都のようなちょっと古めかしい歴史的な建物を多く残した町で、チャンパ王国時代の貿易都市だった。今ではかつてのように大きな貿易船が船着場にくることはなく、観光船がいくつか停泊している程度だ。思えばこの旅では、シンガポール、マラッカ、ペナン島など貿易で栄えた都市は今は観光として栄えている趣が強いように感じる。(シンガポールはそれほどでもないかな。)

町の規模は非常に小さく、観光の見所が小さなところに絞られていて、その外側は宿やレストランがあるといったように観光地さながらの町のつくりになっている。街の中もお寺や井戸など古めかしいものが多く残っているが、そのほとんどはみやげ屋だ。

ホイアンでは、月に一度、旧暦の14日にフルムーン・フェスティバルがあり、川に灯篭を流す習慣があり、この日は町全体の明かりを消してランタンを灯す。灯篭はチェンマイのロイカトゥーン以来で結構楽しみだ。

僕は運良く、ちょうどフルムーン・フェスティバルの日にホイアンについて、宿が混みあっていた。夜になると町にはランタンが並び、民俗音楽を演奏する人がいたり、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。一弦琴の演奏者は見たのだけれど、トゥルンの演奏者には出会えなかった。ひさしぶりにトゥルンの演奏が聞けると思ったのだが少し残念だ。なごやかな雰囲気の中、そこで出会ったイギリス人とフランス人とビールを飲みながらゆっくり1に日をすごした。

それにしてもこのフルムーン・フェスティバル、全然満月じゃないんだけどなー。


[移動] Nha Trang - Hoi An
[交通手段] ツアーバス(寝台バス)
[価格] 190,000VND
[サービス] エアコン、水
[時間] 19:30 - 6:00

[宿泊先] HOP YEN HOTEL
[住所] 103 Ba Trieu & 694 Hai Ba trung St - Hoi An - Vietnam
[料金] ドミトリー $5~7
[サービス] Wi-Fi、タオル、歯ブラシ、石鹸、ホットシャワー

2009年12月27日日曜日

赤い砂漠 in Mui Ne

カントーからホーチミンに戻り、すこし北に上ったムイネーというところがある。このあたりはビーチが広がり、風の強さからかサーフィンやカイトが盛んに行われている。スポーツとしてのカイトはやってみたら楽しそうなのだけれど、今回の目的はカイトでもサーフィンでもなく、砂漠だ。ムイネーのビーチの反対側には砂漠が広がり、赤い砂漠や白い砂漠などもこのあたりでは有名だ。時間がなかったので白い砂漠は見れなかったが、スイティエンという妖精の渓流と呼ばれている場所と赤い砂漠を堪能してきた。

スイティエンは赤い砂漠が広がる中に小川が流れていて、小川の水位が低いため裸足で小川を歩いて楽しむことができる。

砂漠の方はスイティエンから少し離れたところにあり、すこし広めの黄砂の砂漠がある。黄砂の砂漠なのだけれどレッド・デザートと呼ばれていた。ベトナムで出会った砂漠に感動し、すこし砂だらけになってしまった。

ムイネーでは一泊することなく、夜行バスで次の街に移動しようと考えていた。僕が夜行バスを予約した旅行会社はシン・カフェやハン・カフェ(ベトナムで有名な旅行会社)のような大きなところではなく、個人経営していたのだけれども、バックパックをオフィスで預かってくれたのはもちろんのこと、シャワーも貸してくれたし、出発が1:30amということもあって寝るスペースまで用意してくれた。さすがにゴハンも一緒に誘われたのは断ったのだけれどもとても親切にしてもらって、ほんとに助かった。ぼったくり対応に疲れているときにこのような対応をしてくれる人に出会うとほんとに救われる気がする。アメとムチの使い方がベトナムはうまいのか?と思わせられるようだ。


[移動] Ho Chi Min City - Mui Ne
[交通手段] ツアーバス
[価格] 90,000VND
[サービス] エアコン、水
[時間] 7:30 - 13:00

2009年12月26日土曜日

フローティング・マーケット in Can Tho

ホーチミンから5時間ほどかけて南のカントーと呼ばれる場所に来た。この辺り一帯はメコンデルタと呼ばれ、肥沃な土地柄から農業活動が盛んだ。それと同時にカントーはこのメコンデルタ一帯の経済の中心地でもある。
カントーの中心地から少し離れたところでフローティング・マーケットが行われているというのでそちらを見学してきた。フローティング・マーケットは今までいくつかの場所で見てきたが、このメコンデルタでのフローティング・マーケットがその名の通り想像していたフローティング・マーケットだった。

カントーからはカイラン・マーケットとフォンディエン・マーケットの2つの有名なフローティング・マーケットがあるのだが、フォンディエン・マーケットに行くためには早朝5:00にカントーの街を出発しなければならなかった。前日に予約をして、5:00に船着場に行ってみると、昨日紹介されたおばちゃんが待ち構えていた。しかし、昨日紹介されたおばちゃん(A)は本当のドライバーではなく、別のおばちゃん(B)がドライバーとして割り当てられた。どちらのおばちゃん(A,B)も英語がほとんど話せないので別に変わりはないのだけれど昨日紹介されて挨拶したのは何だったのだろうか。

話は少し戻って、フローティング・マーケットへ行くための船を前日に予約したのだが、場所や人によりぜんぜん価格が違う。泊まっていた宿では、ツアーを行うという別のおばちゃん(C)からオファーを受けた。おばちゃん(C)はなかなか英語が堪能で、挨拶程度であれば日本語も知っている人で、気さくに話しかけてくれるしいい人だった。しかし、ツアーの価格の最初の言い値は一人当たり$15ということでかなり高く思われた。旅の経験上、こういった最初のオファーは外で確認しない限り、絶対受けないことにしているが、「普段は2人で$40をディスカウントして$30にした。私は最初から適正価格を提示する。」みたいなことを言っていた。それが本当かどうかは他のところに行って価格を比べてみればすぐわかることなので、とりあえず世間話もそこそこにしてツアーの参加は保留ということで外に探しに行った。
船乗り場まで行ってみると確かに$40でのオファーはあったが、高すぎるので断った。少し歩いて回って最終的に決めたところはボート一隻で270,000VNDだった。ドル換算するとボート一隻で$14。2人いるので1人あたり$7ということになり、最初のオファーの半額以下だ。そうなってくると$7でさえ高いのではないかと思えてしまうがいくつか回ってこの価格が最安だったので結局そこを選んだ。

ベトナムを回っているとまず他の東南アジアの国と違うことは、外国人料金をふっかけてきているのがあからさまだ。他でもあったのかもしれないが、ベトナムの料金のふっかけかたは大きく違って、どこに行っても実際の価格よりも高く言ってくる。同じお店でも人によって違ったり、日によって違うなんてこともある。つり銭をなかなか渡さない店があったり、最初に聞いた額と払うときの額が違うなんてこともよくある。東南アジアで出会った旅行者から、ベトナムは疲れるという話をよく聞いたが確かにこれでは疲れてしまう。街角の商店で買うよりも、ちゃんと値札が張られている高級スーパーの方が安かったりするし、いちいち値段を聞いてふっかけられた値段をディスカウントするのが面倒でスーパーで買うこともある。ほんとはスーパーのような大型で会社が経営するようなところよりは、小さな商店で買ったりするほうが旅の醍醐味があって楽しい感じがするのだが。。外国人旅行者もいつまでもそれに付き合うかは分からないし、ふっかけに気づいた人たちがスーパーに向かうようになったら、ふっかけてきていた人たちは自分たちの首を絞めることになるだろう。

だいぶフローティング・マーケットの話とはそれてしまった。
フローティング・マーケットの実際は、ドライバーのおばちゃんの買い物に付き合わされているような感じだったが、それはそれで楽しかった。こういうときはむしろ英語が通じる人よりも通じない人の方がおもしろいんだと実感させられた一日だった。


[移動] Ho Chi Min City - Can Tho
[交通手段] パブリック・バス
[価格] 50,000VND
[サービス] エアコン、水
[時間] 9:30 - 14:00

2009年12月24日木曜日

メリー・クリスマス! in ホーチミンシティ

せっかく日本に一時帰国したのだけれど、ゆっくりする暇もなくまたベトナムに舞い戻ってきてしまった。日本発ホーチミン行きのベトナム航空で23日以降は空席がないとのことだったが、22日に乗ったときはかなりガラガラで僕の座った席の列は真ん中の4席分を1人で占領できたほどだ。この状態で23日から急に混みだすものなのだろうか。。

今年のクリスマスはベトナムのホーチミンでドイツの友達と過ごすことになった。海外でクリスマスを過ごすのは初めてだし、外国の友達と過ごすのも初めてだ。ホーチミンでは、あちこちにクリスマスのイルミネーションが飾られていて、飾りは日本よりも雑なのだけれどその多さから考えたら日本よりも盛り上がっているかのように見える。教会までライトアップされていたが、クリスマスマーケットなどで有名なドイツ人の友達の話では、ドイツではそのようなことはありえないとのことだ。信心深いキリスト教徒からすると教会を飾り付ける言う行為は信仰からは程遠いのだろう。ただ、その友達もキリスト教に熱心なわけではなく、親はキリスト教徒だけど彼はそうでもないといった感じだ。無宗教化しているのは日本だけではないということだろう。キリスト教もそれぞれの国で違うし、そもそも仏教国のベトナム人が熱心にキリスト教を信仰しているわけでもなく、日本と同様にお祭り騒ぎが好きなんだろうなと感じる。街の飾りつけには雪だるまの人形が多く目につく。おそらく雪が降らない国なので、日本と比べて雪への憧れが強いんだろうな。

今日はこんなクリスマスイブにもかかわらず、戦争証跡博物館に行ってきた。戦争の悲惨な写真を見たり、当時の新聞記事を読んだりして、改めて勉強になることがたくさんあった。ベトナム戦争ではアメリカが負けてベトナムが勝ったということになっているが、ベトナムが受けた被害を考えたらとても勝ったなどとはいえないし、戦争に勝者なしというのをつくづく感じた。

夜は少しクリスマスらしく、ソイ・ガーというチキンを使った料理を食べて、ビールを飲んで明日の移動に備えた。久しぶりに日本に帰国してみんなと会った後にまた日本を離れて少し寂しい気持ちになっていたが、ドイツ人の友達のおかげで明るい気分でクリスマスを過ごせた。
みなさんもよいクリスマスをお過ごしくださいまし。



[宿泊先] HOANG YEN GUEST HOUSE
[住所] No.14/8 Do Quang Dau St - Ho Chi Min City - Vietnam
[料金] ダブルルーム $6~7
[サービス] Wi-Fi、タオル、歯ブラシ、ホットシャワー

2009年12月19日土曜日

結婚式 in 池袋

ずいぶん前からこの日が妹の結婚式だと決まっていたが、航空券を買えるのか買えないのかとか、どこから買うのかとかで迷っていた僕はなかなか妹に出席の返事をできずにいた。しかし、なんとかベトナムで航空券をゲットして出席できるようになった。この日のためにベトナムのモクチョーという田舎の村からほぼ30時間ほどかけて日本に戻ってきた。

久しぶりに妹の姿を見たのだが、新婦はウェディングドレスを着てすっかりきれいになっていてなんだか兄としてどう声をかけたらいいのか、最初は戸惑ってしまった。自分の妹にきれいになったなんて言ってるよっていう突っ込みはご容赦ください。

結婚式、披露宴と順調に進んで、妹のお相手の新郎もしっかりしていたし、安心して楽しむことができた。新婦紹介のプロフィールでは地酒が好きで地酒を探す旅をしていたとか、僕が知らなかったところを知れたし、お色直しのエスコート役であにきと一緒に呼ばれたときはサプライズでうれしかったし、今までまったく知らなかった妹の同僚やお友達とも少し話すことができたし、なんと言ってもよかったのは新婦のスピーチで共感できるところがたくさんあって泣いてしまったことだ。それに、このところあまり具合がすぐれない父がとなりで一緒に結婚式に出席できたことも感動的だった。父には次に僕が日本に帰ってくるときも同じように笑顔で出迎えてほしいと思う。

旅の途中で会った友達は、この結婚式のことを話したら、みんな祝ってくれたし、兄としても新郎&新婦の2人が末永くお幸せに過ごしていくことを心から願っている。ベトナムから一時帰国して出席して本当によかった。ご結婚おめでとう!

[移動] Moc Chau - Ha Noi(My dinhバスターミナルと書いてあったが違う場所で降ろされた。)
[交通手段] バス
[価格] 80,000VND
[サービス] エアコン
[時間] 8:00 - 15:00

[移動] Ha Noi - Ho Chi Min City
[交通手段] 飛行機(ジェット・スター・パシフィック航空)
[価格] 1,070,000VND
[時間] 19:30 - 21:30

[移動] Ho Chi Min City - Narita
[交通手段] 飛行機(ベトナム航空)
[価格] 375USD(往復)
[時間] 00:05 - 05:30(日本時間07:30)

2009年12月18日金曜日

やっぱり落ち着く場所 日本

約3ヶ月ぶりに日本に戻ってきた。
成田は寒いっす。飛行機から降りた瞬間に息が白くなった。
ベトナムは南と北でかなり気候が違っていて、北のほうが寒いんだけれども、それでも昼間は半袖で暑いと感じるくらいだった。この寒さでコールドシャワーは耐えられないだろうなとか考えながら自宅に戻った。日本は成田を離れると日本人ばっかりだ。当たり前なんだけど日本人がたくさんいることに笑いそうになってしまった。通り過ぎる人々を見ながら日本に帰ってきたことを感じて楽しみながら実家に戻った。そしてやっぱり実家は落ち着く。お風呂につかる瞬間は最高だった。
さて、明日は妹の結婚式だ。いい結婚式になることを願う。

2009年12月15日火曜日

幸せのイチゴ in Moc Chau

東南アジアの旅の目的地だったハノイ近辺のイチゴを育てているところへようやくたどり着いた。ようやくと言ってはみたもののここまでの旅はあっという間だったような気がする。

イチゴを育成しているところは、ハノイから1時間半ほど離れたホアビンというところと、そこからさらに3時間半くらい離れたモクチョーというところだ。

現地で僕を出迎えてくれたイチゴのスペシャリストである大塚さんという方を含め、日本チームと現地の人々との協力のおかげでイチゴがすで育っていて、僕が行ったころにはちょうど実がなったものを確認することができた。

僕がモクチョーについたころはまだイチゴが取れ始めたばかりのころで、このイチゴをまずテスト的にモクチョーの街にあるケーキ屋さんに届けてイチゴのケーキを作ってもらおうということになった。大塚さんと僕は一通り現場を見た後に、いくつかイチゴを摘んでケーキ屋さんに向かった。

ベトナムでは一般的に英語がしゃべれる人が少ないので、イチゴを持っていってもケーキを作ってくれということが伝わるかどうか不安だったのだが、お店に行ってみると販売している女の子がかなり流暢に英語を喋ってくれた。生のイチゴを見るのは初めてだったようで非常に感激してくれた。近くで見て、匂いを嗅いで、とても喜んでいてくれた彼女は、みんなのお土産にするから食べることはできないと言っていたが、1つ試しに食べてみてくれと念を押すと食べてくれた。イチゴの味にも感動してくれた彼女は実はその日がちょうど誕生日だったらしい。いいプレゼントができ、微笑ましい場面に出会えてうれしかった。

実は1回目にイチゴを持っていったときに、いくつかは食べてもいいけど全部食べずにケーキ作ってねとお願いしたのだがすべて食べてしまったらしい。英語が通じていなかったのかどうかはわからないが、従業員がけっこう多いところだったので、1人だけ試食するということは無理だったのだろう。2回目は、今度こそケーキ作ってねと念を押した。

完成したケーキを見に行くと、僕らのために作ったので食べてくれといわれたが僕らはモクチョーの人たちにイチゴのおいしさを知ってほしかったのでケーキを受け取れなかった。きれいに飾られたあのケーキは誰が食べたのだろうかと思っていたところ、彼女の友達の結婚パーティーに持っていったらしい。彼女の友達も喜んで食べてくれたということを聞いてうれしかった。

イチゴでうれしい笑顔を見れたことはいいことだが、モクチョーやホアビンのイチゴ農家が生活を向上させていくためにはこれから販路を拡大していかなくてはいけない。ベトナムはクリスマスを盛大に祝うのでクリスマスケーキで使うということは1つの案だけれども、やはり日本のクオリティで生のイチゴをたべてほしいとも思うし、まだやるべきことはたくさんある。


2009年12月8日火曜日

ろうそくは慎重に、、 Hue

ベトナムのホーチミンシティから24時間のバスに乗り続けてようやくフエに到着した。24時間のバス移動は今まで最長だ!しかもバスに乗っているのはベトナム人ばかりで英語もほとんど通じず。。ちょっとつらい24時間だった。
まずは到着してからホテル探し。すこし古めだったが、周りのゲストハウスに比べて安くしてくれたし、サービスも十分(ホットシャワー、Wi-Fi、タオルあり)だったのでそこに泊まることにした。
夜、帰ってくるとゲストハウスの鍵が閉められていたので、外から叩いて従業員を起こして、すこし時間がかかったけれど鍵を開けてもらった。ゲストハウスの人が鍵を閉めるというのは安全上よくやってることなので大したことではない。ただ今回は、従業員が鍵を開けるまでにやけに時間がかかっていた。そしてろうそくを持って目をこすりながら鍵を開けにきたのだ。なにやら電気がないということを片言に説明してきた。街を見渡せば電気が点いているので街の停電ということではないのだがそのホテルが停電だった。なんでそこだけ停電になるんだか細かいことは当然話すことができず、渡されたろうそく2本を持って部屋まで案内してくれた。
せっかく、ホットシャワーがあって、インターネットにも無線で繋げるというから選んだのに(実際は最安だからだけど)、電気が点かないので、ホットシャワーなし、ネットもなし、充電もできないのできないことだらけだ。先にわかってれば対応できるし、そもそもそんなところは選ばなかっただろう。
いろいろ文句を言いたかったが従業員がほとんど英語が通じないので今日のところはこれまでにして、明日起きてから話し合おうと決めてねた。それにしてもコールドシャワーは冷たかった。

翌朝、起きてトイレに移行と思ってバスルームの扉を開けるとなんだか真っ黒になっていた!ん??なんだ?と思って入ってみるとすべて”すす”。昨日のろうそくの火がプラスチックに燃え移ってバスルームが全焼してしまっていた。ガラスは割れ、シャンプーやボディーソープもどろどろに溶けて、なんだか大変なことになってしまった。
昨日さんざん文句を言い放ってしまったがさすがにこれでは言いたいことを言える状態ではない。

バスルームの状況を従業員に伝え、なるべく早く問題を片付けてチェックアウトしようとしたが、やはり責任はどちらにあるのかとか弁償はいくらだとかの問題になってなかなかチェックアウトできなかった。しかもゲストハウス側は僕のパスポートを持っているわけで、簡単にそこから脱出するのは不可能だった。
とりあえずろうそくを使わせたのはゲストハウス側だし俺には責任がないという話にいったんはまとめたものの、結局はこちらの保険で支払うということで話をおさめることができた。
キャンドルにはくれぐれも気をつけて使用するようにしたい。



[宿泊先1] A dong Hotel
[住所] 01 Bis Chu Van An Str - Hue City - Vietnam
[料金] ダブルルーム $5(最初は$8と言われた)
[E-Mail] adongcoltd@dng.vnn.vn
[サービス] Wi-Fi、タオル、ホットシャワーということだったが停電して使えず。

[宿泊先2] Sunny FINE
[住所] 7/3 Chu Van An Str - Hue City - Vietnam
[料金] ダブルルーム $5
[E-Mail] sunnyfine@email.com
[サービス] Wi-Fi、タオル、ホットシャワー、ときどきゴハンをご馳走になる。

2009年12月1日火曜日

トゥール・スレン in Phnom penh

カンボジアのポルポト政権という名前は、どこかで聞いたことがあるという人も多いのではないかと思う。ポルポトの行った大量虐殺は世界的にも有名で、ポルポト氏を代表とするクメール・ルージュが政権を握っていたのは、ベトナム戦争終了後の1975年から79年までのわずか5年間であるが、その間に170万人(カンボジア人口の21%)が殺されたとされている。僕が生まれるほんの少し前までそのようなことが実際に起きていたのだ。

トゥール・スレンはもともとは学校だった。ポルポト氏の命令によって施設にフェンスを設け、S-21と呼ばれる刑務所に変更され、そこでは検閲、拷問、そして殺人が行われたとされる。

ここを訪れたときにはなんだか体が重くなって気分が悪くなってしまった。そこには写真や、実際そのS-21にいた人が描いた絵などがあるのだけれども、絵を見なくても雰囲気からなんかここにはいづらいものを感じた。いくつかの独房の床にはまだ血らしきものも残って見えていた。

このような虐殺は人間の歴史上なんどか行われてきているが、ポルポト氏が政権を取ったのは、虐殺を行うことが目的だったのではないと思う。彼が目指したのは「人間の改造」だったとされる。
腐敗しがちな従来の人間を「労働」によって改造することで、共産主義にふさわしい存在に変え、豊かな社会を作る、という考え方をもとに新たな人間社会を目指したのではないだろうか。最初からただ多くの人々を殺そうと思っていたわけではないはずだ。

そして、ポルポト時代に改造の対象とされたのは貧しい農民であり、知識階級は余計な知識を持ちすぎていたり、金持ちは自分の財力に執着を持っているという理由で多くの「ブルジョア」を殺していった。
ポルポト氏自身がフランスやソ連に留学し、共産主義を勉強し、政治に目覚めていったことを考えるとそういった「ブルジョア」を粛清したことは自己矛盾しているように見える。

トゥール・スレンは今は博物館として、過去の校舎をそのまま利用して建てられているがこういったものが忘れ去られないように過去の形のまま残されるということは重要なことだと思う。僕もこの地に立って過去に何があったのかを知ることができたし、なぜそのようなことが起きたのか今一度個人的に考えるきっかけを作ってくれた。



[移動] Siem Reap - Phnom penh
[交通手段] バス
[価格] $4
[サービス] エアコン
[時間] 8:00 - 14:00