2010年1月24日日曜日

妹からの知らせ

昨日、妹からメールが入った。親父が入院し、詳しく分からないけど病院に向かっている。何か分かったら連絡をくれるとのことだった。

入院は何度かあったし、危ないかもしれないと言われつつも、今まではまだ大丈夫だろうという感覚があった。しかし、今回の妹のメールは文章こそ短いものの僕を不安にさせるものだった。

僕は電話をなくしまって、インターネットが唯一の手段だったのだが、インターネットで即座に対応することは難しい。

夜になってようやく実家とスカイプで会話をすることができた。血圧がかなり低くなったので病院に行ったとのことだったが、薬を投与したことでいったん安定したらしい。しかし、いつ何が起きても。。という話だ。

病院でインターネットにつなげるかどうかわからないけど、妹に頼んで僕の古いノートパソコンにスカイプをインストールしてもらい、明日お見舞いに行くというので、そのとき病院で試せるように準備をしてもらった。


今朝起きたらルンソンは停電で電気がつかない。当然インターネットも繋がらなかった。なんでこんなときに限ってインターネットが通じないんだか。。日本の場合はライフラインとしての電話回線という意味で電気が来なくても電話は通じるようになっているようだが、ベトナムはそんな気の利いたことをするはずもない。

ゲストハウスの人に携帯電話を借りて、何とか実家に連絡することができた。
最初に電話に出たのは母だった。
「お父さん、さっき帰ってきたよ。」


なんだ、昨日あんな状態だったのにもう退院したのか。無駄に心配してしまったなと思いつつ、病院でスカイプをする約束をした妹に替わってもらった。

「こっち(ベトナムのルンソン)は停電でさ。
まったくこんなに日に限って停電なんて困ったもんだよな。
インターネットも使えなくて。
みんなきてるの?
親父とは話せるのかな?親父と替わってよ。」


「お父さん、亡くなったよ。それで、さっき帰ってきた。キレイな顔してる。」


「えっ、何?帰ってきたってそういう意味なんだ。。。」


「昨日の夜、病院から電話があって、がんばってたんだけどね。。」


帰ってきたという言葉を聞いて、一度は安堵したもののそういう意味だったのか。。。きっと、実家では僕にメールしたから、親父が亡くなっていることを知って、電話をかけてきたと思っていたのだろう。

昨日、もしものことが起きたときを想像してけっこう泣いたのにまた涙が溢れてきてしまった。

親父はいつも僕のことを気にかけてくれて、一人暮らししていたときは実家に帰ってくることをいつも楽しみにしていてくれた。先日一時帰国したときは、泣きそうな表情で無事でよかった、顔が見れて安心したって迎えてくれた。。
あの時、親父はこれが最後の別れになるかもしれないと察していたのかもしれない。僕は一時帰国の期間が短くて友達に会ったり、次の準備をしたりするのに精一杯で。。もっと親父と一緒にいられればよかった。。

親父は、兄に子供ができて孫にも会うことができたし、妹の晴れ舞台を見ることもできたし、兄弟で一人結婚もせずにぷらぷらと海外を周っているバカ息子にも会うことができたし、幸せだったんじゃないかな。今考えると妹の結婚式は絶妙なタイミングだったんだな。それに、結婚式では最後に家族で写真を撮ることができたから。
旅行中は、いつもこの写真を持ち歩いている。



いったん帰国して、アフリカへの旅は少し延期したいと思う。

2010年1月12日火曜日

忙しい年末 in Ha Noi

年末じゃないでしょ?って思う人も多いかもしれないが、ベトナムではテトの準備が始まり、今が年末なのだ。テトというのは旧正月のことで、ベトナムでは中国と同様に旧暦の正月を祝う習慣がある。今年はバレンタインデーがちょうどベトナムのテトにあたる。
そういえば、ホイアンで出会ったベトナム人に、日本の旧正月はどう祝うんだと聞かれたときに、日本では旧正月を祝う習慣がないと答えたらびっくりしていた。ベトナムでは元旦よりも、旧正月の方がよっぽど重要で、この前後一週間はまったく仕事が手につかなくなるらしい。それほど重要な時期なのだ。

僕らの立場としては、今日は片田舎のルンソン村からひょっこりハノイに買い物に来ただけなのに、テトの混雑で渋滞はひどいは、人の波に邪魔されて動きはとりずらいは、まったく飛んだ災難にあってしまった。1ヶ月前の今の状態でさえひどい混雑なのに、テトの一週間前や前日はいったいどうなってしまうんだろうか?大晦日のアメ横よりもひどいことになっているのが想像できる。



ベトナムの買い物では市場で買う場合、値札などというものはなく、定価はないに等しい。なので、数字のやり取りというのは重要だ。僕の場合、新しい国を訪れるときはまず最初にその国の挨拶と数字を覚えることから始めている。ベトナムでも同様に数字を覚えたのだけれど、ベトナム語は発音が難しくて、聞きとりにくいので苦労している。
さらに数字を扱いにくくするのはその桁の多さだ。例えば、現在ベトナムでは、100円はおよそ20,000VND。だからちょっと高いものでは簡単に1,000,000VNDを超えてしまう。5000円両替すれば、その名の通りミリオネアになれる。
そんな数字について、僕が日本の数字の数え方がやっかいだと思うことがよくある。日本の数字の数え方は他の国と違って、4桁区切りなのだ。多くの国では1000まで行ったら一巡して、10000は10と1000という言い方をする。英語の場合、10000は「ten thousand」だから「10と1000」だし、ベトナムでも「muoi nghin」は「10と1000」だ。日本の場合は10000には「万」という言い方があって、100000まで行くとようやく「十万」、つまり「10と10000」という言い方をするようになる。ちょっとばかし日本人は他の国よりも頭のできがよくて、メモリーが多いためにゼロが4つのところまで数字を作ってがんばってしまったようだ。
しかし、そのせいでいろいろ面倒なことが多い。ベトナムでは物の値段については、数字が大きくなりすぎてしまうため、よく1000以上のみで扱うことがある。例えば15,000VNDは15とだけ表記する。これを読む場合も英語はthousandをはずすだけ、ベトナム語はnghinをはずすだけでいいのだけれど、日本語の場合は、一万五千を十五と変換するようで、読みにくい。(十五万から十五にするのは万をはずすだけだから楽チンだけど。)
同じように数字の桁区切りも世界的には通常3桁づつだ。1億は100,000,000と区切るが、英語やベトナム語の場合、数字の間にあるカンマで読みやすくなるわけだが、日本語の場合、カンマがあっても数字の読みにはまったく役立たない。かといって、1,0000,0000のように4桁ずつカンマを置けば日本語としては読みやすくはなるけれど、世界では通用しない。こんな不満を言ったところで何も変わらないんだけどね、なんて勝手な独り言を言ってみた。

2010年1月11日月曜日

初売り in Ha Noi

先日収穫したイチゴを箱詰めしてHa Noi(ハノイ)市内にもって行き、ハノイにいるベトナム人や日本人の反応を見ることにした。

ハノイに持参したのは先日Moc Chau(モクチョー)から1日がかりで収穫した12パックのイチゴだ。モクチョーから滞在先のLuong Son(ルンソン)村までの片道タクシー代だけで1,200,000VND(約6000円)かかった。さらにルンソンからHa Noiは往復のタクシー代が5000円ほどかかってしまうため、1パックあたり1000円で売れてなんとか交通費分が取り戻せるということになる。日本人の感覚からしてもやはり1パック1000円のイチゴというのは高いと感じると思うが、ベトナム人の感覚からしたら高いなんてもんじゃないだろう。そもそも今回はハノイの人々の反応を知りたいということだし、まだこれから売り出すところなので赤字になることは十分承知の上だ。それに今回はサンプルとしてお店に配るだけの予定で売る気はなかった。

アメリカの某有名ホテルや日本人が経営しているハノイのケーキ屋などに感想を伺ったところ、かなり感触はよかった。特に5年間ベトナムに住んでいる料理長からのI'm very impressed. という表現は僕らにかなり希望を与えてくれた。

そんな感じでいくつか回った後にお昼ごはんを食べたのだが、お昼からイチゴを置いた場所に戻ると、誰かが1パックのうち1つのイチゴを食べてしまったらしく、プロジェクトの人とちょっとしたいざこざが起きていた。

先日、イチゴ農場に遊びに来たベトナム人がまだ実が白いイチゴまで採って食べてしまって大変だったと聞いたばかりだったが、まさかパック詰めして段ボール箱に入っているイチゴを通りすがりのベトナム人が食べるとは。。それまでにどういう経緯があったのかよくわからないが、やはり油断ならぬベトナム人。

イチゴが1つ減ったところで売る気はなかったのだが、彼らが買いたいということと責任を取ってもらおうということで高めに100,000VNDで1パック買い取ってもらった。思わぬところで最初にお金を払って買ってもらうことになった。彼らの話では100,000VNDは高いということだったが、こちらの想定額よりも高く買い取ってもらったからそう思うのも無理はないだろう。それでもけんかにならずにお金を払って帰っていくということはそれだけベトナム人が裕福になっているという証でもあると思う。

思わぬ形での初売りではあったけれどもそれはそれでベトナムらしいっちゃあ、ベトナムらしい。




最初のお客さん。けっこう裕福そうな格好をしている。

2010年1月10日日曜日

収穫 in Moc Chau

この頃は、Hoa Binh(ホアビン)省のLuong Son(ルンソン)という村とSon La省のMoc Chau(モクチョウ)を行ったり来たりしている。どちらもイチゴを栽培している場所だ。今のところ、ルンソンの方は実が赤くなるのが少し遅れているが、モクチョウの方はかなりの数の苗からイチゴが採れるようになってきた。

そんな中、今日はモクチョーで収穫。おどろきなことに日本でも最高級と思われるくらいのイチゴもできている。日本人が見ても”ベトナムでこんなのできるの?”って驚くらいの大きさで、キレイに熟していてつやもよい。食べてはいないが、香りもよいし、おそらくかなりおいしいイチゴだとと思われる。


比較のためにペンでも置いて写真撮るべきだったかな。

ベトナムでのイチゴの大先生大塚さんから言わせても間違いなく一級品のイチゴで、僕の場合は採ってるこっちが”こんな初心者ですいませんが、失礼します”と言ってしまいそうになるくらいの大物っぷりだ。
そんなものを目の前にして食べられないなんて、蛇の生殺しだよな。。


やっぱパックされると高級感が増しますね。

そろそろ、ここから離れる日も近いかな。

2010年1月5日火曜日

2度目のラオス from Dien Bien Phu

先日Moc Chau(モクチョー)からトライした国境越えがかなわなかったので、今回は外国人も通過することが正式に認められているベトナム-ラオス間の7つの国境のうちの1つ、Tay Trang(タイチャン)を目指すことにした。タイチャンはDien Bien Phu(ディエンビエンフー)の街からほど近いのところにある。ディエンビエンフーは歴史の教科書にも載っているフランス軍との最後の戦いの場所として知られている場所で世界史を勉強した人は聞いたことがあるかもしれない。

滞在しているモクチョーからディエンビエンフーまでは以外に遠く、朝7時に出たのにも関わらず、到着したのは午後5時ころでもう日が沈みかけていた。

ゲストハウスで国境行きのバスを尋ねると、どうやら朝5:30発のラオス行きのバスがあるらしい。そのバスはディエンビエンフーからMuang Khoa(ムアンコア)というところまで行くもので、前回ラオスを回ったときに訪れたことがある村だ。
ムアンコアでは電気は19:00から22:00までの3時間しか使えず、充電をするのにも苦労した記憶がある。ムアンコアは特に何もすることがないのだけれども人は優しかったし、ちょっと滞在してみるのもいい場所だ。しかし、前回も書いたけれども今回はパスポートの更新が目的。昨日10時間程度もバスに乗ったのに、さらにディエンビエンフーから8時間もバスには乗りたくない。とはいえ、ラオス国境を通るバスはそのムアンコア行きしかないのでそれを利用する以外に手はない。

翌早朝5:00にバス・ターミナルに行ってなんとかバスの車掌と交渉をした。国境までは2時間くらいで行けるのだが、ムアンコア行きのチケットを少しだけ安くして国境までバスで連れてってくれることになった。国境までという需要が少ないのだから料金が高くなってしまうのは仕方がないか。

ベトナムの出国手続きの後、バスに乗り込んでからラオスの入国管理まではおよそ10分程度。無国籍地帯はかなり長さだ。あの距離だけでも歩けといわれたらけっこう大変だろう。
ラオス側に到着するとさっそく入国手続きだ。ラオスの入国管理局では、H1N1(旧豚インフルエンザ)の検査や手続きの手数料などを取られた。ラオスの通過キップを持っていないのですべてドン払いで済ませた。
ここまでの手続きは、VISA取得を除いて、バスに乗っていたチェコ人やフランス人、ドイツ人、アメリカ人と手続きは一緒。その後、彼らはそのままバスでムアンコアに向かい、俺だけがすぐにラオスの出国手続き。これにはラオスの入管のおっちゃんも頭をかしげていたが、バスの車掌に手伝ってもらってなんとか説明できた。こんな田舎では入国管理のおっちゃんさえ英語があまりわからないようだ。一応インターナショナル・ボーダーなんだけどなぁ。。

出国手続きが終わった後、俺だけが1人残ってディエンビエンフー行きのバスを待つ。バス・ターミナルで聞いた話では、ムアンコア側からもディエンビエンフー行きのバスが5:30に出発するとのことだった。予定ではラオス出入国管理所には11時に着くとのことだったが、12時になってもバスは来ない。まぁこのくらいよくある話と思って、そのまま待っていると13時ちょっと前にようやくバスが到着。コン・サーオ(No problem)でした。ディエンビエンフー行きのバスであることを確認して、バスに乗り込んだ。

再度ベトナムへの入国も難なくこなし、ベトナム滞在延長の任務完了。
日も暮れかける頃にディエンビエンフーに戻り、そこからはハノイ行きの深夜バスに乗って、モクチョーに到着したのは夜の2時ころ。特に問題はなかったんだけど、時間と金と労力と丸2日かけたtめに疲れた旅だった。


ラオス入国後にバスの出発を待つ国際色豊かな面々。

2010年1月3日日曜日

越えれぬ国境 in Chieng Ve

一時帰国後にベトナムに戻ってきてから、早くも15日目が近づいてきている。ちゃんと調べていないのでペナルティがいくらになるのか知らないのだけれど、15日を超えると面倒なことになるのでとりあえずどこかの国境から一度出国しなければならない。現在滞在しているMoc Chau(モクチョー)というところから、ガイドブックにも書かれていない国境があるということでとりあえずそこで出国スタンプを押してもらえないか試みた。

国境はChieng Ve(チェンベー)という町の付近にあるということなので、そこまでバスで行くことにしたのだが、実際はチェンベーの町の15km以上手前でバスは終点ということで、そこで降ろされてしまった。
しかも、チェンベーから国境に行くにはさらに10km行かなきゃならないということだ。
最初は40,000VNDだと言っていたのに、説明を重ねるたびに価格ががっていって、最後には200,000VNDになってしまった。そういう人たちは信用もできないし、大体の場合は遠いからバイクじゃなきゃダメだとかいいながら実際に行ってみると大して遠くないことがよくあるので、彼らを無視して歩いていくことにした。すると途中でバイクに乗せてくれるという人がいるので、乗せていってもらった。

彼は親切な人かと思いきや、やっぱりお金を要求してきた。あらためてここはベトナムであることを確信した。国境の10kmほど手前でいくらかチップを渡して、彼と別れた後は国境までまた徒歩で向かった。
国境までの道は、旅行者もほとんど訪れることがないようなところなので、かなり日本人が珍しかったのだろうと思う。みんながいろいろ話しかけてきた。こんなときに指差し会話帳は非常に役に立つ。覚えた片言のベトナム語と本を駆使して、会話をするのはけっこう楽しいもんだ。さすがに最初から含めると20km近く歩いたので疲れはしたが、景色はとてもきれいだった。

ようやく国境に到着すると英語が喋れる女性が1人、その他おっさんが2人。彼女が説明してくれたのだが、そこの国境はベトナム人とラオス人のみが通れるところで、外国人にはオープンにされていないようだ。少しラオスに入ってみることくらいはできそうだったが、僕がやりたいことはラオスに行くことではなく、パスポートの出国スタンプを押してもらうことなのでラオスに行くことなくMoc Chauの町まで戻った。

やっぱり地球の歩き方に書かれている国境に行ったほうがよさそうだという結論に至った。明日はまた別の国境に向かわなきゃだなぁ。


2010年1月1日金曜日

あけましておめでとうございます!

日本はお正月でおせち料理を食べながら特番なんかを見ているときだろうか。テレビはいいけど、おせち料理は食べたいなー。それと実家の甘酒も。
ベトナムの正月はというと、1月1日はさすがに休む人が多いようだ。でも、基本的にはベトナムのテト(正月)とは旧正月を指すので、日本ほど盛り上がることはない。

僕はというと、ようやくイチゴを栽培している場所Moc Chau(モクチョー)に戻ってきた。そして、戻ってきたところでもうベトナムにいられる時間があまりない。(ベトナムにはノービザだと15日しかいられないため。)ちょっぴりラオスに顔を出してこようかな。

今はまだ多くのイチゴは取れていない状態なのだけれども、子供たちがおいしそうに食べてくれているのを見るのはそれだけでうれしい。ちなみにお母さんたちはほとんど食べていなかった。親のありがたさを改めて感じるね。

今年もよろしくお願いします!



[移動] Ha Noi - Moc Chau
[交通手段] ミニバス
[価格] 70,000VND
[サービス] 特になし。
[時間] 13:00 - 18:00