2009年9月27日日曜日

ロッククライミング

ペナン島を出てタイに入国し、そのままクラビーに到着した。レオナルド・ディカプリオ主演のザ・ビーチで有名になったピピ島がクラビーからほど近くにある。映画の冒頭の撮影はクラビー・シティで行われたらしい。
僕はペナン島で出会ったアメリカ人ロッククライマーと共にクラビーにやってきて、Rai Layビーチからすぐ近くにあるTon Saiに泊まることにした。Rai Layビーチは半島にあるのだけれども、陸側が石灰岩の山に囲まれ、陸路でたどり着くことができないため、ボートを使って行く必要がある。ここのボートは人数が集まってから出ないと出発しないのだが、夜遅くに着いた僕らは少し料金を上乗せしてなんとか到着することができた。
Ton SaiはRai Layビーチからもちょっとたどり着くのが難しく、ジャングルを越えていかなくては行けないようなところで、ちょっとした秘境だ。バックパックを担いで、ライトを照らしながらジャングルの山道を越えていくのは大変だったが、たどり着いたときの景色は絶景だった。写真でうまく残せないのが残念だ。


Ton Saiはロッククライマーのメッカとしても有名で、たくさんのロッククライマーがここに泊まっている。Rai Layビーチの方は高級リゾート地で一泊1万円はざらだけれども、Ton Saiはバックパッカーやロッククライマーなど向けで一泊300円~存在する。
ここの人たちはとても優しくて笑顔で話しかけてきてくれるし、タイを回ってきた旅行者からも絶賛されていた。この地はロッククライミングのメッカとのことなのでとりあえず挑戦してみたが、やはり初心者には厳しかった。なんどか挑戦したが登りきることができず、今度やるときはもっと簡単なところから挑戦したいと思う。


2009年9月25日金曜日

マレー人とインド料理

ペナン島にはおいしいインド料理があるということを聞いて、街中を詮索していると、昼間っから現地の人がならんでいるインド料理屋台を発見した。店について尋ねてみると一日中この賑わいらしい。
もう別のお店で昼食を食べてしまったので夜にこの店にトライしてみようと思う。



予定通り、その店を夜に訪れてみるとやはり行列は耐えないままだった。たまたま前に並んでいた2人のマレー人に話しかけるといろいろ教えてくれて注文を問題なくこなすことができた。インド料理のお店はいろいろなところで勝手が分からず困ることがよくあったから助かった。

彼らはすごくよくしてくれて、ご飯も一緒に食べた。マレーシアのことや日本のことを話しながらおいしいインド料理をいただいた。別れ際に会計を尋ねたら、彼らが自分の分まで払ってくれていた。いいとは言ったものの結局おごってもらってしまった。

写真で見るとやっぱりおいしそうには見えないんだけれど、おいしかったです。

2009年9月24日木曜日

ペナン島

コタバルから深夜のバスに乗ってペナン島に到着した。ペナン島はコタバルからマレー半島のちょうど反対側にあるところで、安くておいしい料理があることで旅行者にも知られている。この町はマラッカと同様に世界遺産に登録された町なので観光都市としても栄えていて、日本語で書かれた看板もちらほらと見かける。


今はペナンの一番栄えている都市ジョージタウンにあるOld Penang Guesthouseというところに泊まっていて、今のところ一番きれいなゲストハウスだ。Wi-Fiも無料で使えるし、シャワーもトイレもきれいなので特にやることがなくても長く留まってしまいそうだ。

ペナンのご飯はほんとにおいしくて、安い。僕が訪れるのはほとんど屋台なので、日本のレストランのようにきれいな写真は撮れないので、見た目がそれほどでもないのが残念だ。ペナンは華人が多いことでも有名だがインド料理もおいしいところがたくさんあるということなので明日あたりは回ってみたい。


ペナンの料理として有名なラクサとかではないけれども普通においしい。北京ダックは他の料理と比べて少しお高いです。

2009年9月22日火曜日

初ダイブ

昨日でOpen Waterのコースをすべて終わらせて、晴れてダイバーに仲間入りできた。この後さらにAdvanced Open Waterってのがあるんだけれど、そのコースはもう少し後で、どこか違う場所で取りたいと思う。そのほうが目的ができるし、コース取得しながらダイビングを楽しむことができる。
ただのOpen WaterとAdvanced Open Waterの大きな違いはもぐれる深さで、Open Waterは18m、Advancedは30mまで行くことができる。ダイビングの種類によってOpen Waterでは参加できないものがあり、Advancedを取っておいたほうが楽しみは広がりそうだ。

実際、今日の午前はOpen Waterの人は参加できず、Quiver(ダイブショップ)で話して時間を過ごした。
今回はトイレの話題になった。少々汚い表現があるかもしれない。
こちらの島では洋式のトイレが普通なのだけれど、まず紙はない。樽に水とちいさなおけが用意されていてそこで手を使って洗い流すようになっている。これはこちらでは普通。ほとんどの旅行者はトイレットペーパーを持ち歩いている。僕はポケットティッシュ。ヨーロッパ系の人はだいたいトイレットペーパーを1つ丸ごと持って歩いている。拭くことについてはトイレットペーパーやティッシュを使えば問題ないのだけれど、めんどくさいのは行為を行うときだ。便座がかなり汚れていて、とてもそこに座る気にはなれない。(座っている人もたくさんいるんだろうけど。)洋式便器の使い方がわからずに便座自体を踏んでやる人もいるという話も聞いた。できればそういう便座には座りたくない。。便座に座らずに用を足すのはけっこう力が必要だ。どうせ座らない便座だったらむしろ和式にしてもらったほうが変に力むこともなくて助かる。このまま毎日力んでトイレで用を足さなければならないとなると、どこかで痔になりそうで嫌だ。そのうちこのスタイルにも慣れるんだろうけど。
結論としてここは楽しいんだけど、自国(ヨーロッパやカナダや日本)で便座に安心して座れるっていいことだねってことになった。日本はすばらしい国です。

話は戻って、ライセンス取得後、初ダイビングに行った。今回訪れたスポットは魚がたくさんはいなかったのだけれど、海がめを見ることができたし満足だった。ただ、空気の消費時間が早くて一緒にもぐった人たちに迷惑をかけてしまった。陸に上がってから、空気を長く持たせるコツを教えてもらったんだけど、普通に息しているのとなるべく抑えてやっているのでは、同じ空気の量でも何十分も海にいられる時間が違うのね。まったく知りませんでした。コース取得中はあんまり潜水時間のことを気にしてなかったからな。次回はちょっと吸うのを3カウント、吐くのを9カウントで試んで楽しんでみようと思う。

プルフンティアン島では1mもしくはそれ以上のStingray, Barracuda, Sea turtleを見ることができたの。サメは残念ながら見れなかったけど、いい経験ができた。



2009年9月20日日曜日

HARI RAYA

イスラム圏にはラマダンと呼ばれる断食の文化がある。ラマダンはイスラム暦の9月のことを意味していて正確には断食のことを意味する言葉ではないが、ラマダンの月の間に断食をするので、ラマダン=断食として捕らえる人が多い。イスラム教徒は、ラマダンの間、日の出から日没まで食べ物を食べてはいけない。日の出から日没までという限定があるから夜になるとたくさん食べるし、断食って行っても全然食べられないわけではない。ただ仕事の間中腹が減って力が出なくなるって言っていた人はたくさんいた。ラマダンはイスラム系のマレー人にとっては重要だけれど、マレーシアに存在する多くの中国人には関係がない。(その人がイスラム教徒じゃなければ)
Hari Rayaはそのラマダン明けを祝うお祭りで、マレーシアではその間いろんなところがお祝いするため、多くのお店が休みになる。日本に例えると正月、GW、お盆みたいなもので、正直この時期にマレーシアに来ることはお勧めしない。どこも車で込み合うし、そもそも店がやっていない。今年のHari Rayaは9月20日なのだけれど、日本のおぼんみたいなものなので何日まで休みなのかというと店によってまちまちだ。

僕にとってはこういうときにスキューバのライセンスを取るのは正解だったと思う。とはいえ、Hari Rayaの影響はこの離れ島であるプルフンティアン島にまで及んでいる。島の多くのレストランが休みになってしまうので食べるところがなくなってしまうのだ。何より船便も来なくなってしまうので、レストランだけでなくショップのパンとかも売切れてしまう。Hari Rayaはラマダン明けで食べ物が食べられることを祝う日なのに、皮肉なことにその時期に僕ら旅行者には食べ物がない。さらにネズミのせいで食べ物を買い貯めておきたくても安心して部屋においておくことができないのだ。まさにサバイバル。
実際はほんとに全然食べられないわけでもないのだけれど、僕の滞在していたロングビーチではBuBuという高級レストランしかオープンしておらず、しかもほとんど予約でうまってしまっていたという状況だった。マレーシアの屋台でワンタンミーとかがRM3程度で食べられるのに対して、BuBuは大体RM30くらいするから他と比べるととんでもなく高い。(島の他のレストランは大体一皿RM10くらいかな。)しかも、それにサービス料とかで10%とか上乗せするためさらに高い。なんだけれど、料理は味も見た目も最高で、1度食べなれてしまうと他のレストランがちっぽけに見えてしまう。それに高級とはいえ日本円に換算すると1000円程度だ。


2009年9月18日金曜日

バッグの穴

朝起きて、歯磨きに行こうと自分のポータブルバッグを見てみたら、大きな穴が開いていた。慌ててバッグを開けて中を見てみると、クッキーがかなり食べられていた。疲れたときにちょっと食べたいと思って買っておいたのに。。どうやらネズミにやられてしまったらしい。。島に到着した初日からいきなりこういう歓迎ですか。食べ物を部屋で維持するのは並大抵なことではない。

昨日20cm程度のトカゲを見てデカッって思ったけど、実はそんなもんじゃないらしい。プルフンティアン島はオオトカゲが生息していることでけっこう知られているらしく、1m超えはざらにいて、2mにもなるオオトカゲがいるらしい。また、であった人の中には、部屋にヘビがいたという人も。それもちっちゃいもんじゃなくてかなりおおきなパイソン。毒はないらしいが天敵はネズミだけじゃなさそうだ。


バッグに空いてしまった穴は仕方ないので、気を取り直して今日からダイビングコースに挑んだ。初日は本を読んだり、DVDを見たり。このDVDの俳優の芝居がなんともいえない不器用さで、おいおいってつっこみたくなるところが満載のPADIのDVDだった。今日は1,2章だったけれど、これが5章まで続くかと思うとちょっとヘコみそう。ちょっと勉強した後は海に行ってシュノーケリングと軽くフリーダイビングをやった。体験ダイビングは少しやったことはあるのだけれど、フリーダイビングは初めてで、やってみたらけっこう楽しい。


ジャパニーズのピースサインはいろんな国の人に変わった習慣として知られていて、日本人と写真を撮るときにはこっちに合わせてピースしてくれます。なんでピースするのって聞かれるけど、そんなの知りません。

2009年9月17日木曜日

プルフンティアン島

マレーシアのどこかでダイビングのライセンスを取ろうと考えていたけれど、多くのマレーシア人がPulau Perhentian(プルフンティアン島)がお勧めだといっていたので、そこで取得することにした。Plau PerhentianはKota BharuかKuala Terrengganuからそんなに遠くないところにある島で、キャメロンハイランドからも直接バスが出ていた。
キャメロンハイランドからは午前中に出発して、島に到着したのはもう夜に近くなってしまった。
明日からPADIのOpen Waterライセンス取得のコースが始まる。


2009年9月14日月曜日

キャメロンハイランド

キャメロンハイランドに到着した。キャメロンハイランドは日本で言うと軽井沢みたいなところで、マレーシアの避暑地として知られている。実際泊まった夜は毛布がいるほど寒かったし、ついこの間まで蒸し暑かったのでまったく違うところに来てしまった感覚だ。



このあたりは農業が盛んで紅茶農園やイチゴの食べ放題などで週末には観光客でにぎわうところだ。ストロベリーフィールズの遠藤さんに紹介してもらったレストランを訪れ、今日はそのレストランがあるリングレットという小さな町に泊めさせてもらった。
リングレットの農場はまさにジャングルの中に農場が存在している。急斜面にトマトやナスなどの栽培をやっている人もいてこんなところで農場ができるのかと思ってしまうほどだ。僕の訪れたトマトを栽培しているところの技術はかなりすすんでいて、一つ一つポットを作ってそこに養分と水をスイッチひとつで入れられるようになっている。マレーシアの田舎にある農場なのにここまで技術が進んでいるのは興味深い。





2009年9月12日土曜日

シンガポールとパックス・ブリタニカ

現在は、先進国は欧米欧州や日本で、その他の国々が発展途上国という構図はほとんどの人が認めるものではないだろうか。その中でもアメリカという国は特に重要で、アメリカの政策が世界に一番大きな影響を与えていることに異論を唱える人は少ないといえる。(昨年のリーマンショックなどまさにその言い例だろう。)

歴史を振り返ると、現代のように欧州が世界の方向性を決めるというのはかなり最近の話だと考えている。現在の世界情勢が作られたそもそもの発端は2つの大きな革命で、それはイギリスで起こった産業革命とフランスの市民革命であったと考えている。
それまでの封建的な社会の考え方は、王族など権力のあるものが国を統治し、人々はそれに従うことで安心、お金、仕事を得ることができていた。しかし、その考え方では人々の忠誠心を維持するためには多くの富が必要で、戦争を行う場合は戦費や食料など権力者は多くのものを支払い、それを続けることが必要だった。与える富がなくなれば傭兵たちはそこから簡単に去っていった。
しかし、フランス革命以降に国民国家という思想が生まれ、市民が主権を持つという思想が生まれた。これにより国が発展していくことで自由を獲得できると考えた市民たちは、国のために戦争に出兵し、税金を納めた。それらはすべて結局は自分のためだと考えたからだ。そして、権力者たちはかつてのように施しを与える必要がなくなった。ナポレオンのフランスが非常に強かったのは国民国家の考えが根底にあったと言われており、雇われ用兵などよりも自分の国のために尽くして戦う国民民兵は強く、各国の権力者から手本とされ、ヨーロッパやその他各地に広がっていった。その後、現在にいたるまで国民国家がよいという考え方は続いている。(今後その思想は何かの革命で変わるかもしれない。)

そういった思想と、イギリスで発展した産業革命が生産性を向上させ、人々をより遠くに行くことを可能にし、思想・技術を世界中に広げ、イギリスはパックス・ブリタニカと呼ばれるイギリス帝国の繁栄時代を迎えることになる。世界全体を支配した国はイギリスが最初の国であると考えている。
その後、イギリスは拡大させた権力を維持するために世界各地に軍を派遣し、その浪費のためにその権力を維持することができなくなった。覇権はそのころに世界の工場として発展をしたアメリカへと移り変わった。

上記のような流れの流れの中でシンガポールはイギリスがパックス・ブリタニカと呼ばれるイギリスの繁栄時代を築くための重要な拠点だった。同時にシンガポールの発展もイギリスの繁栄(貿易)に支えられていた。

シンガポールの発展の鍵はイギリスが中国との貿易を行うためにそこを重要な拠点として位置づけたことがきっかけになっている。シンガポールの創設者と言われているラッフルズは、中国との貿易の拠点としてマレー半島に注目していた。当時のマレー半島の南側はオランダの勢力によってほぼ独占されていて、オランダが全権力を握っていた。イギリスが中国との貿易を行うためには航海でインドやスリランカを越えた後、中国の拠点にたどり着くまでの間に拠点とできるような場所はすでにオランダに統治されていて、当時のイギリスはスマトラ島の南側を通って中国と貿易を行っていた。(かなり遠回り)

そのような状況の中、ラッフルズはオランダの統治を受けていない島を見つけ、そこをイギリスの拠点にしようと動いた。その島が現在のシンガポールだ(かつてはシンガプーラ)。ラッフルズは先住民との交渉やまたオランダとのやりとりで見事に成功し、シンガポールをイギリスの統治に治めた。シンガポールでは関税をかけない自由貿易が行われ、中国やインドを中心とする各国から商人たちが訪れた。またそこでは警官も配備され、海賊など貿易を荒らす行為は厳重に処罰され、それも商人たちの評判を上げ繁栄を築くことに一役かっていた。シンガポールの開港と同時にマラッカなど重要拠点もイギリスが治めるようになり、今後のパックス・ブリタニカへの時代を築いていくこととなった。

2009年9月11日金曜日

携帯電話ゲット!

海外に来て、携帯電話を調べ始めてからいろいろ聞いてからわかったことだが、携帯のシステムがその他の国と大きく違うのは日本と韓国だけらしい。今までは短期間でしか使うことがなかったのであまり考えようとはしていなかった。日本、韓国以外の国のGSM携帯はSIMカードを入れ替えるだけですぐにその国の携帯電話として使用できる。
日本の場合はSIMカードでキャリアが限定されているのでそのようなことはできない。例えばドコモの機種の携帯を買ったら、ドコモの回線しか使えない(ソフトバンクのSIMカードを入れて使うことができない)がマレーシアではそれぞれの機種と携帯のキャリア(ドコモとかソフトバンクのこと。こちらではOperatorと呼ばれている)は完全に独立していて、たとえばソニーエリクソンにAU向けモデルとか、ソフトバンク向けモデルとか存在しない。
ちなみにマレーシアのオペレーターは何種類かあって、僕が比較を行ったのは以下の3社だけ。
Digi

Maxis

Celcom

通話料金とかから考えてDigiがよさそうだったので、DigiのSIMカードを購入することにした。

僕が購入したNokia 5130はミュージック携帯でmp3の音楽も普通に聴くことができる。旅行に出発する前はソフトバンクの携帯で音楽を聴いていたのでこっちでも携帯で音楽が聴けるのはうれしい。





それにしても、日本の携帯がなぜこのような状況になっているのか、おそらくは一部の権力者の保守的な傾向にあると思う。海外のシステムはこうなっているということさえなかなか報道されないのが不思議なくらいだ。日本の携帯電話の進化は非常にすばらしいものなのだけれど。。

2009年9月9日水曜日

マレーシア入国

今朝、シンガポールから出てマレーシアに入国した。

シンガポールのブギスというとところにバス停があって、そこからマレーシアのジョホールバル、マラッカ、クアラルンプールなどに行くことができる。ジョホールバルはJB、クアラルンプールはKLなどと略して呼ばれている。マラッカは特に略されていないが、MalaccaともMelakaとも表示される。
直前に宿で仲良くなったフランス人、日本人と一緒にバス停まで行ったのだが、彼らの目的地はKLで、僕の目的地はマラッカ。8:30頃にバス停に着いたのだけれど、次のKL行きのバスは9:00出発。僕のほうはというと、マラッカ行きは13:30発まで待たなければならなかった。おいおい、荷物まとめて早く起きたのにそんなに待つのかよって感じだった。
仕方ないので、彼らを見送ってから先日肉まんを食べて仲良くなった中華系のお店で朝食を食べて、とりあえずJBまで向かうことにした。JBでマラッカ行きの便がどれだけあるのか知らないけれど、マレーシア内の移動だからシンガポールより便は多いはずだろうと考えていた。
サッカーをちょっと知っている人であれば、JBは日本ではジョホールバルの歓喜として知られている場所で、日本代表が初めてワールドカップ行きをつかんだ場所でもある。
最初はJBで時間をつぶしてからマラッカまでいこうと考えていたが、JBのバス停が市の中心から離れていることもあってあきらめてしまった。
マラッカについてからは宿泊先を決めてから、今までの情報整理をした。今日の移動をGPSロガーで追ってみたところ、けっこうきれいに出ていた。下の図はマレーシアのマレー半島側のさらに南の部分なのだけれど、シンガポールが非常に小さいことがわかってもらえると思う。シンガポールの大きさは東京の23区程度で、よくこの国がここまで発展したものだと感心してしまうほどだ。

2009年9月7日月曜日

旅のスタイル

今回はバックパッカーの生活がどういうものなのかを紹介したいと思う。ただし、これはシンガポールの僕が泊まっている宿でのことなのですべてのバックパッカーに共通というわけではない。

宿について
シンガポールで泊まっている宿は、バックパッカー・コージー・コーナー・ゲストハウス(Backpacker Cozy Corner Guest House)というところだ。
シンガポールの中心地から比較的近くて、料金も安いということでここを選択した。宿代はドミトリーで一泊S$12で、日本円を約S$1=70として計算すれば800円くらいだ。ドミトリーというのは広い部屋にベッドが並べられているところで、トイレとシャワーは当然共用だ。
この宿には、別にシングルルームやダブルルームなどがあって自分の部屋を利用することも可能だ。自分の部屋を利用してもトイレやシャワーは共同になっている。


ベッド、枕
ベッドカバーと枕カバーは宿に着いたときに洗われたものを渡され、それを使用するのでベッドや枕自体が汚くてもそれほど気にならない。僕はここには3泊しか泊まらないので、特に選択は気にしていないけれど長く泊まる人は途中で選択するんだろうな。

ロッカー
ここの宿では、1つのベッドに付き1つのロッカーが与えられていて、そこに自分の荷物をしまうことができる。ロッカーには鍵をかける場所はあるが、錠前は各自で用意する必要がある。1つのベッドで1つのロッカーと言われたが空いている間は空いているロッカーを自由に使えそうだ。

シャワー
シャワーヘッドは固定されていてるがお湯は出るし問題はない。ただ、足を拭く場所は用意されていないので濡れてもいいサンダルを履きながら体を洗うのが便利だ。

トイレ
東南アジアの安宿では当然のことかもしれないが、トイレには紙が用意されていない。バックパッカーはそれぞれ自分のトイレットペーパーを準備してトイレに行く。シンガポールでは外にいくらでもきれいなトイレがあるのでそこで済ませることができれば宿のトイレをわざわざ使う必要はない。

電源
部屋ごとに数箇所の電源(コンセントの口)が設けられていて、そこを使用することができる。僕の場合は変換器で日本のコンセント形状に変換してからデジカメの充電などを行うことになる。日本のコンセントの蛸足の口を忘れてしまったのがちょっと痛い。

洗濯
宿には洗濯機があるが使用不可とされている。洗濯を頼む場合はかなりのお金がかかるようで、みんな手で洗っている。

インターネット
宿には3つのパソコンが用意されていてインターネットが使用可能だ。ただし、多くの人が使用するので使用時間は限られている。2日目に1つのパソコンで日本語入力が可能なものを見つけた。USBメモリは管理者権限がないために使えなかった。宿の人に残りの2台を日本語環境にしたいとか、USBメモリを使うために一度管理者権限でログインしてほしいとか頼んだけれども、パスワードを知らないとか、嫌な顔をされて断られてしまった。それ以上言っても無駄だろうと思いあきらめた。

朝食
ここの宿には朝食もあるのだけれど、パンが並べてあって隣にあるトースターで焼いてジャムをつけて食べるようだ。そんな朝飯よりもちょっと外に出て近くの中華系のお店に行けばS$1以下で肉まんとか食べられるから、ここの朝食には手を出していない。

バックパッカーたち
とにかくいろいろな国の人たちがいる。宿で最初に出会ったスロバキア人、大学の単位を取得しに来ているノルウェー人、仕事を求めてきたインドネシア人、2年間の旅行をしているチリ人、5人くらいで旅行に来ているフランス人。仕事を兼ねて遊びに来ているイギリス人などなど。何人かの日本人にも会った。ある日本人は昔はこの安宿の向かい側にあるインターコンチネンタルに泊まっていたと言っていた。
宿で出会う人たちのいろいろな国のことについてあまりにも知らないことが多い自分が情けないと思うときがある。それぞれの首都、言語、主な宗教、有名な料理など彼らにとっての当たり前のことさえ知らないのは悲しいことだ。自分に置き換えると日本、東京、天ぷら、富士山などさえ知られていないと少し寂しい気持ちになるのではないだろうか。また、自分のことを説明するのはかなり難しい。英語が得意なわけではないからということもあるが、仕事や国の制度などを説明するのはなかなか難しい。というか突っ込んで聞かれるとわからないことがあって、自分がどれだけわかった気でいて、本当はわかっていないのかということを思い知らされることがある。
今思うことは日本地図とか家族の写真とかを用意してそれについて語れるようにしたいということだ。たとえ英語がうまくなくてもそういった図を利用すればお互いの理解を助けることができる。
よかったことは名刺を作ったことだ。自分から名刺を差し出すことで相手の情報も聞き取れるし、ストロベリーフィールズの名前を使わせてもらっているのでイチゴ好きの人の話を広めることも可能だ。

旅を始めてからの雑感
こっちについてからよくわかったことだけれど、シンガポールにはとにかく物がたくさんあるので日本で買わなければいけないものはむしろ少ない。僕はほとんどのものを用意して旅行に来てしまったがそんなことはしないほうがよかった。とはいえ、なかには日本から持ってこないと困るものもあることはある。
例えば少し触れたけれどコンセントの蛸足。日本のコンセントと海外のコンセントでは形状が違うために変換器で変換しなければならない。僕の持っているものはさまざまな国の形状に変換して使用できるのだけれど、日本の電源をさせるところが1つしかない。今まで海外には1つしかないところに日本のコンセントの蛸足をつけて複数を同時に使っていたが、それを持ってくるの忘れてしまったので1度に1つしか使えないから不便だ。
ガイドについては英語のものが現地で入るのでそれほど問題ではないけれど、日本語とその国の言葉とのやり取りをするための本は必要だろう。シンガポールはほとんど英語なので問題ないが、英語も通じないところでは、指差し会話帳などがあると便利だろう。いくつかの国のものは買ったけれど買っていないところもたくさんあるので、現地で手に入ることを望む。。かなり難しそうだけれど。

その他、Tシャツ、ズボンなどの衣類やシャンプー、ボディソープなどの生活品など雑貨などほとんどのものが日本よりも安く買うことができる。旅行では必要なものを手に入れるという目的でいろいろなところに回ることも楽しいし、それを含めた意味でも出発する際は現地で手に入らないもののみを準備して、あとは現地で買うつもりで来るべきだった。
そういうアドバイスをしてくれた人はいたけれど、こういうことは実際に経験してみないと細かいところまでわからなかったりするものだ。

また、英語の重要性は改めて感じる。今ならば僕は語学学校に通うよりもこういった旅に出るほうがずっと英語の勉強になると思う。特にシンガポールでは英語が公用語として使用されているからここで数ヶ月過ごすことは海外の語学学校に行ってそこで会った日本人と仲良くするよりはいいトレーニングになるのではないだろうか。


話は変わるが、9月7日はこんな感じで回った。
GPSロガーは日本からのフライトを記録していたはずなのに途中で電源が。。まぁフライトの記録はまた今度挑戦するとしよう。

2009年9月5日土曜日

旅の始まり シンガポール

最初に訪れる国シンガポールに到着しました。
シンガポールは想像していた以上に発展していて、City Hall近辺の景色は僕が住んでいた上野よりもだいぶ先進的です。
世界3大がっかりと言われているマーライオンを見に行きましたが、夜景だったこともあるのかけっこうよかったです。

シンガポールはイギリスとのつながりが深く、公共の建築物はイギリス風のものが多いです。
シンガポールのイギリスとの関わり、日本の占領など書きたいことはたくさんあるのですが今は控えておきます。

初日は空港を降りてから、話しかけられたトルコに向かう人と一緒にシンガポールをちょっと回りました。せっかく仲良く話していたんですが、彼はそのまま夜イスタンブールに飛んでしまうので明日は普通に一人旅になります。


少しきれいに取れた夜景の写真を載せてみました。左の下側で白く光ってるのはマーライオンです。

2009年9月3日木曜日

GPSロガー

GPSロガーは、GPSから緯度、経度、高度などを受信してそれを記録に残すというもの。普通に生活する人にとってはまったく必要のないものかもしれないけれど、それをgoogle Mapに連携させてどのように移動した軌跡を表示させることができる。この旅行で必要がなければいったいどこで使うんだろうっていう代物だ。(でも一般の使い方は写真と連動させてどこでいつ取った写真かを記録するのに使うようになってるようです。)
実は富士山に登る前から購入を考えていて、富士山でテストしようかと考えていた。ネット販売は届くまでに時間がかかると思って、いろいろなお店を回って探したがSONY製品しか取り扱っておらず、僕が購入しようと思っていたRGM-3800は店頭販売で見つけることができず、ギリギリにネットで購入することになった。大きさは僕の親指より少し長い程度で軽いし大して邪魔にならない。たいした機能があるわけではないのでちゃんと研究が進めばもっと小さくていいはずだとは思うけど。


届いたばかりのGPSロガーを早速茨城に行ったときにテストしてみた。操作はとても簡単で、電池(付属されていません)を入れて、電源ボタンを押して後は一緒に持って移動すればいいだけ。
結果は以下の通り、紫色の線で移動した軌跡がわかる。下妻市までちゃんと移動したってことですね!GPSロガーを購入するとCDでマニュアルが付いているんだけど、マニュアルはほとんど使い物にならず、なんとか自分で設定を行った。設定自体は簡単だったのでマニュアルがちゃんとしてればすぐにgoogle Mapに表示できるようになると思う。


GPSについて少し前に気になるニュースがあったので、それについて少し触れたいと思う。GPSはカーナビや船舶の航行用、米軍の精密誘導兵器などに使われる人工衛星を使った衛星測位システムで、30基の人工衛星を使用して運用されているが、使える人工衛星が24基以下になると十分な位置確認がとれなくなるとされている。
このGPSについて、米政府の会計検査院(GAO)が「来年以降、GPS用の人工衛星の中で軌道を外れるなど機能が低下するものが増える。このままでは、使える人工衛星が24基以下になる可能性は、来年が5%、2011-12年には20%、2017-19年には90%となる」とする報告書を今年の5月に発表している。
GPSに対抗しうるものとして、中国の航行誘導衛星「北斗(COMPASS-G2)」はちゃくちゃくと準備を進める中、アメリカは新たな人工衛星の打ち上げを延期し、今後もその目処が立っていない。しかも現在の財政状態から考えれば人工衛星に回すほどの予算は当分は見込めないだろう。GAOの報告書が予測どおりにならないとは言い切れない。

2009年9月2日水曜日

茨城訪問

出発間近で準備が忙しくなっているけど、今日は茨城のイチゴ農家に出発直前の挨拶とお手伝いに行ってきた。今日訪れた場所はストロベリーフィールズではなくて、その仲間の別の農家さんのところで、ストロベリーフィールズのみんなで手伝いに行くということで僕もそこに混ぜてもらった。
僕は実家から車で行ったので片道4時間弱かかってしまい、実作業はほとんどできなかったのだけれど、別の農家さんと話したり、栽培方法を見学することは非常に勉強になった。
ストロベリーフィールズではポットに1つ1つ苗刺しを行ってそれを栽培するのだけれど、今日手伝いに行った農家さんでは、畝を作って直接苗を植える。時間も短くてどっちにどのようなメリット、デメリットがあるのか知ることはできなかったけれど、その場所やどういうものが育てたいのかによって栽培方法も多種多様だってことだ。この辺りは旅行から帰ったらしっかり勉強したいと思う。

(この写真も僕はカメラマンなので写ってません。)

ストロベリーフィールズには社長も含めて東南アジア好きの人がいていろいろアドバイスをもらった。東南アジアの特に観光地では旅行者を狙った詐欺のようなものが多く、賭博詐欺とか飲み物に睡眠薬を入れたりだとかそこら辺のガイドブックによく載っている手口はほんとうにあるということだ。その中で今日最初に受けた注意が男を狙った女性の詐欺。海外に行って急にモテるようになんてならないんだから、女性が寄ってきたら気をつけなよってことを一番最初に言われた。僕はそういうのに引っかかりそうに見えているのだろうか?(笑)
旅で現地の人と仲良くなるってことも重要なんだけれど、簡単に信じ込んで詐欺に遭ってしまうのも避けたいところだ。この辺りは実際に旅行して慣れていくしかないのかな。


さて話は変って、そんなイチゴの栽培に関して、ミツバチは受粉の過程で大きく関係している。近年、ミツバチが減少していて、ニュースで取り上げられ問題になっている。原因はまったく不明なのだが、インドの研究で携帯電話と基地局が原因ではないかということが発表された。この研究から、携帯電話や基地局が増えていけば今後10年でミツバチが姿を消すかもしれないということだ。インドは経済発展と人口増加により今後も携帯電話や基地局が増えていくことは必至だろう。イチゴ農家にとってはミツバチは重要なので、この辺りのニュースは常にチェックしておきたいと思う。

ミツバチの減少、携帯電話と基地局の電磁波が原因か インド研究