2009年10月28日水曜日

パーイ

NAT G.Hで出会ったドイツ人、カナダ人と一緒にチェンマイからさらに北に進みパーイへやってきた。チェンマイからパーイの道はかなり曲がりくねった坂道の連続だった。今までほとんど車酔いをしたことがなかったので今回も余裕で本を読んでいたのだけれど、途中からちょっと気分が悪くなった。所要時間は4時間程度で旅の中ではかなり短い移動なのだけれど、少しこたえた。

パーイの中心街はかなり小さくて、1,2時間程度かけて歩けば十分見切れる。中心街は欧米からの観光客がたくさんいて、土産屋やバーなどがたくさん見られ、ガイドブックにも書かれているように一昔前のカオサンロードのようだ。
滝、渓谷、温泉などといった見所は中心から少し離れているのでバイクもしくは自転車などをレンタルする必要がある。

僕らはバイクをレンタルして滝や温泉を回った。温泉はTha Pai HotspringとMuang Paeng Hotspringがあって、Tha Pai Hotspringは200B(約600円)もするということを聞いたので、無料のMuang Paeng Hotspringに向かった。(600円と言われるとたいしたことないんだけど、タイにいると200Bは2000円程度に感じてしまう。)
温泉につかることを想定してタオルや水着を持っていったのだけれど到着してみたら熱すぎてとても入浴できる温度ではなかった。それでも源泉を見ることができたし、その源泉ではとうもろこしの食べカス、卵の殻、鳥の頭など、おそらくそこで料理したのだろうと思われるものが垣間見れて楽しめた。ドイツ人が立ちションをしようとして、少し外れたところに行くと、「オー、マイガッ!」と聞こえたので、何かと思うとカエルが誤って温泉に飛び込んだのか、川の中でゆでられて死んでいた。煮魚のように目が白くなっていてまさしく"オー、マイガッ"が似合う状況だった。



チェンマイからパーイまで
ミニバン
1回の休憩あり
12:00 - 16:00
200B

宿泊先
Baan sangheaun light house
35/3 Moo 3 Chaisongkram Rd., Wingtai, Pai, Maehongson 58230
一泊 300B(ツインルーム)
ホットシャワー、タオルあり、コーヒーと紅茶が無料

2009年10月23日金曜日

カレン族の村

チェンマイではNAT Guest Houseに泊まっていて、そこで働いているカレン族のKonが彼の村に案内してくれるということで、僕も参加させてもらうことにした。参加する人はドイツ人、日本人、カナダ人、アメリカ人の総勢10人のけっこう大きなグループになった。
僕らはKonの家に泊めてもらった。村には電気はきているものの日本の生活とは大きくかけ離れている。田んぼが山の下にあってそこで米を作っていたり、村にはコーヒー豆の木や唐辛子なども育てている。豚や鶏などもいて、お祭りの際に豚を殺して食料にするらしい。
村を一回りして村人たちとセパタクローしたり子供と遊んで夕飯をご馳走になった。竹筒を使って料理した魚や野菜の煮物などの料理を作ってもらって、特に竹筒で煮た魚はおいしかった。
翌日はみんなで山に登ったり、滝を見に行ったりして楽しんだが、旅は楽しいだけではなくいろんな問題も続出した。まず朝起きるとKonのタイヤがパンクしていて、夜までに何とか直せたのだけれど、チェンマイに向かっている途中でパンクが続出。奇跡が起こっているのかというくらいにパンクのオンパレードだったけれど、ラッキーにも誰もケガせずにチェンマイに戻ってこれた。





宿泊先
NAT Guesthouse
7 Soi 6 Phrapokklao Rd. Phrasingh, Maung Chiang Mai Thailand 50200
一泊 100B(ドーミトリー, 3人部屋)
コールドシャワー、インターネット無料(WiFiではないが有線が使用可能)

2009年10月19日月曜日

ミャンマー雑感

ヤンゴンからミャンマーに戻ってきました。
シンガポール、マレーシア、タイと渡ってきて、まだたった4カ国目だけれど、ミャンマーは他の東南アジアの国とはまったく異質な国でした。

タン・シュエ将軍が政権を握っている軍事政権ということで多くの人がミャンマーは危険な国と考えているかもしれないけれど、旅行をしてみればその国の人々の良さに気付くと思います。ただ、詐欺師とかいるし、観光地では他の国と同じように料金をふっかけてくるし、人に対してではなくお金に興味がある人はたくさんいるのも事実です。そういうのを踏まえても、この国にはまた来たいと思わせる人の良さや出会いがありました。

ミャンマーは日本のように単一民族ではなく多民族国家です。もともとブルマ(ビルマ)と呼ばれていましたが、ブルマはミャンマー内の1つの民族の名称です。そのため、他の民族も含めてミャンマーと呼びます。ブルマ族は自分の国をミャンマーとは言わないし、ブルマー族以外のシャン族やモン族はシャン族、モンゾクであることを認識しているので、ミャンマー人だとは思っていません。
この国はもともとの首都ヤンゴンから今の新しい首都ネピードーに大金をかけて移転したり、補助金をとめてガソリン価格が倍になったりといろいろな問題を抱えているのは確かで、多くの市民は政府に不満を持っているようだけれど、それを公の場で言うことは許されていません。
来年、北部で大きな選挙が行われます。ミャンマー北部はシャン族の地方で、シャン族と政府との関係はあまり良くありません。今、バンコクに持ち込まれるヘロインの数が急増しているようです。ミャンマー政府が来年の先頭に備えてマシンガンなどを購入するための資金稼ぎのようで、政府とシャン族との国内紛争が起こる可能性は否定できません。
ミャンマー情勢には今後も注目していきたいと思います。

2009年10月8日木曜日

両替詐欺

ミャンマーの通貨が封鎖されていて、ドルが必要だということはこの間書いたばかりだが、通貨についてもう少し書きたいと思う。今まであまり大きな問題はなかったが、ミャンマーに着いてさっそくやられてしまった。

ミャンマーの通貨はチャットで、政府が公表しているレートでは1USドル=450チャットということになっているらしいが、実際は1USドル=1000~1100チャット程度で取引されている。ヤンゴンには両替所というところは存在しないが闇で交換できるところがあり、そこでUSドルと交換する。
ここでもう少し情報を足すとドル紙幣は大きいほうが価値が高い。100ドル札は1100チャットとかで取引されるのだが、50ドル札、20ドル札はレートが下がってしまう。10ドル、5ドル、1ドルと小さくなるほどその価値が相対的に減っていくのだ。それと両替を行うときには新札でないと受け付けられなかったりする。ホテルや交通費で払う才は古い札でも受け付けてもらえるようなのだが、両替のときや出国の際に払う10USドルなどは新札ではないとダメということだ。こんな貧乏な国で$100札なんて使う機会はないだろうと考えていたため、$50札や$20札を持っていたが$100札で持っておくべきだった。

僕は予算分をヤンゴンで両替し、足りなかったらバガンなどで両替を追加する予定だったが、地方に行くとレートが悪くなるということで予定よりも少し多めに両替し戻ってきたらまたドルに両替することにした。
実はこの情報はガイドブックにも載っているし、そういわれたのだが、実際のところそこまでレートが違うというわけではない。だからやっぱりちょっとずつ両替して行くほうがいいのではないかと思う。

両替すると札束がごっそりきて、これをまず数えなければならない。たくさんの札束を使うことには慣れていないので数えるだけでも一苦労だった。多くの時間を使って札束を数えたのはいいのだが、その後かばんに詰めるときに分けたほうがいいということで札束に触れられ、両替商に勝手にわけられてしまった。そして他の人が見ないようにということで2つに分けられた札束を早めにバッグに隠した。そのときは自分の目ですべて確認していたから大丈夫だと思ったのだが、その後バスに乗ってマンダレーのホテルについてようやく1人になって確認してからやられてしまったことに気付いた。札を数えなおしてみるとまったく足りないのだ。

両替の際に抜き取られるという話は聞いていたがまさか自分に起こるとは考えていなかった。シンガポールの宿で、ベトナムの両替商にやられたという学生に会った。そのため彼のベトナムに対する印象はよくないといっていたが、今は彼の言っていたことが身にしみてよく分かる。すごくやさしくしてくれて観光情報などいろいろ教えてくれたのだが今考えれば怪しいところが満載だった。受け取った金は絶対に触らせてはいけなかったし、バッグに入れてから、数えなおすべきだった。しかし枚数が多いのと、周りに見られてはいけないということからそういうことができなかった。
今後の教訓として受け止めなくてはいけないのは分かるが、ミャンマーでいきなり痛手をおってしまった。
両替商はインド系だったがインド系だけは避けたほうがよいということを後で知った。

2009年10月7日水曜日

ミャンマーへの道のり

タイの入国事情
ちょっと前にマレーシアのペナンにいたときのことだが、ペナンではタイの観光VISA取得サービスを行っている宿を多く見かけた。タイの入国事情は変化があって、今までは飛行機で入国しても陸から入国しても1ヶ月間はVISAなしで過ごすことができていたが、今年から陸路で入国した場合は15日しか滞在することができなくなってしまった。しかし、そのような厳しい取締りを行うと経済状況がよくないこの時期に観光業にさらにおいうちをかけてしまうため、今まで3000円くらいした観光VISAを無料で発行することにした。観光VISAを取得すると入国経路に関係なく2ヶ月間タイに滞在していることができる。そんなんだったら最初からVISAなしで2ヶ月滞在可能にしてくれと言いたいけれど。。ちなみにマレーシアのコタバルも国境に近い街だが、コタバルの宿ではVISA代行サービスは行っていなかった。おそらく個人でタイの大使館に行けば申請できると思う。

ミャンマー案の浮上
そのようなビザ事情があったことはペナンでわかってただが、VISAを申請しようと気付いたのが金曜の午後で、申請を行うために月曜まで待たねばならず、取得できるのはさらに遅れるのでVISAを待つのがきびしくなってしまった。それとほぼ同時に頭に浮かんだのがミャンマーだ。いろいろな人からミャンマーのいい話を聞くし、政治・経済・歴史の面からもミャンマーには興味を持っていた。そこでとりあえずタイに入国してVISAなし陸路入国の期限ギリギリでミャンマーに経ち、フライトで帰ってくれば1ヶ月の猶予がもらえるプランを思いついた。
(ミャンマーへの入国は基本的には空路を使わなければならない。)
航空チケットはマレーシアのAir Asia(格安航空会社)で取得し、後はバンコクでVISAを取得すれば準備が整うはずだった。

ミャンマーVISA申請
バンコクに到着しミャンマーの大使館に向かったところまではよかったのだが、自体は思っていたほど簡単には進まなかった。VISAの申請用紙に記入し、入国管理局の役人に呼ばれると仕事のチェックをされ、パスポートのチェックをされた。仕事についてどんな仕事なのか細かくチェックされ証明書まで要求されたが、就労証明書など持っていない。さらにシリアのVISAを取得していることを指摘され、ミャンマーの大使館も日本にあるのになぜ取得しなかったのかとしつこく聞かれた。細かく答えたがまったく相手にされず結局VISAの許可を与えてもらえなかった。。今日は10月5日。8日がフライトで7日までにVISAを取得する必要があり、VISAを作るのには2日の営業日が必要なのに。。。しかもAir Asiaの格安航空チケットはキャンセルができないということで格安になっているのでもしVISAが取れない場合はチケットは紙くずになってしまう。さらにタイに滞在できる限界がせまっているため、ミャンマーにいけない場合は一度どこかに出国しなければならない。こりゃ旅の計画が大きく狂ってしまう。VISAを取得できることを前提に計画を立てた自分が悪いといえば悪いのだがどうにかならないものか。。

ミャンマーVISA再申請
翌日、家族の協力を得てなんとか仕事の証明になるような書類をFAXで取り寄せ、不安ながらも再度大使館へ向かった。なんと今度はけっこうあっさり申請を通してもらえた。おいおい、昨日のいざこざはいったいなんだったんだよ、まったく。。しかし、まだ営業日の問題が残っていた。VISA取得には通常2日の営業日が必要なのだが、エアチケットを見せて急いでいることを伝えるとエクストラチャージを払って当日VISAを発行してくれるという。(ネットでそういう情報もあったが、昨日あれだけきびしかったので無理かと思った。)昨日取得できればエクストラチャージ払う必要もなく取得できたのになぁ、とも思いながらエアチケットを紙くずにせずにすんだので一安心。VISAは問題なく取得できた。

通貨の準備
ミャンマーの事情は少し特殊で、通貨が封鎖されている。そしてミャンマーで使用できるのは基本的にはUSドルのみらしい。USドルから現地通貨チャットに両替し、またいろいろな場所ではUSドルでないと受け付けないところもあるらしい。個人的にUSドルについてはかなり悲観的な見方をしているのであまりUSドルを持ちたくないのだが、ミャンマーでは日本円が使えないのでバンコクで準備する必要があった。
USドルの準備なんて簡単にできるだろうと思っていたが、実はそれがけっこう大変だったのだ。街中にあるMoney Exchangerに聞いてみても日本円からタイバーツへの両替はできるものの、USドルはもっていないという。当然銀行にも向かったが銀行でもUSドルは持っていませんとのこと。何件もまわってようやくたどりついたのが、X One EXCHANGEという場所。ここでは多くの通貨を扱っていてしかもレートが他の両替所よりも抜群によかった。今後もしバンコクに行く予定の人がいたら是非ともこのX One EXCHANGEを使って両替をすることをオススメする。サラディーン駅近くのPATHONGと呼ばれる場所から近いところにある。

X ONE Currency Exchanage Center
149/7 Surawongse Road Suriyawongse, Bangrak Bangkok 10500

2009年10月3日土曜日

水深30mの世界

昨日からアドバンスド・オープン・ウォーターのライセンス取得コースを始めた。今日の一本目は水深30mまで潜るディープ・ダイビングだ。通常のオープン・ウォーターでは18mまで潜れるのだけれど、アドバンスドに進むと30mまで潜ることが可能になり、これがアドバンスドと通常のオープン・ウォーターとの一番の違いと言える。

水深30mの世界では、色の見え方が水面と大きく異なる。赤い色が失われていき、水面ではカラフルなものも彩度が失せていくので、目に見えて変化していく景色からその深さを感じることができる。青暗い海は自分が深いところにまでやってきたんだということを教えてくれる。
コースでは赤色が失われることを実感するためにインストラクターのTKさんがウサギの耳のぬいぐるみをもってきてくれた。赤いところは黒っぽく、ピンクの箇所は赤っぽく変化する。海がどうして青くみえるのかということとも関係してくるので興味がある人は光の屈折や波長などを調べてみてほしい。

ディープ・ダイビングの楽しみは、オープン・ウォーターのときに比べて水面までの距離が今までに比べてほぼ倍に伸び、暗い環境に自分がいるとなんだかそれだけでワクワクしていしまうところにある。もちろんディープダイビングは深く行くこと自体が目的ではなく何かの目的のために深く潜るのだけれど。。
海底から少し浮上して見れば360度どこにでも行くことが可能だし、水面まで十分な距離があるので、自由な空間をなんだか飛んでいるような感覚を感じることができる。子供の頃にドラゴンボールの武空術にあこがれたことがあったが、この年になってそれを楽しんでいる感じだ。

今回のダイブでは魚の群れに囲まれたときがあって、それが何とも圧巻だった。魚の群れはそれ自体のダイナミズムがダイバーを魅了してくる。その群れの中にほんの少しいる違った種類の魚たちを含めてそこから自然が実感でき、見とれてしまう。ダイビングをやってよかったなと思える瞬間だった。


ディープ・ダイビングの後、2本潜って合計5本のダイブが終了し、アドバンスド・オープン・ウォーターのライセンスを取得することができた。
さらにその後、ナイト・ダイビングに挑戦するつもりでいたのだけれど、直前でコンディションが悪くなってしまい今回はあきらることになってしまった。この後、しばらくはダイビングができなさそうだが、ナイト・ダイビングは次の目標にしておこう。

次はバンコクに行き、ミャンマー行きの準備を進める。

2009年10月1日木曜日

タオ島

クラビーからは長旅だったけれど、タオ島に到着した。タオ島はダイビングのメッカと呼ばれているところで多くのダイバーがここでライセンスを取得する。ここでアドバンスドのライセンスを取得しようと思う。
マレーシアにいたときに、タイではめちゃめちゃ安くライセンスが取れるといっていた人に出会ったが、ここの価格を聞いてみるとそんなに差はないようだった。むしろマレーシアのほうが少し安かったかな。
タオ島はどちらかというとバックパッカーよりもツアー客のほうがたくさんいて、旅をしている間にいいうわさをたくさん聞いていたけれども、一人身のバックパッカーにはちょといづらい。

タオ島は日本人の間でもよく知られていて、プルフンティアン島と違って日本語の表示や日本のインストラクター、日本からの団体旅行客をよく見かける。小さなお店でであったレストラン経営者今はまだローシーズンだけれども日本の団体客のおかげでけっこう儲けているといっていた。


途中でGPSロガーの電池が切れてしまったことに気付かなくて、海路のほとんどをログできなかった。