2010年4月26日月曜日

エチオピアへの準備

ケニアの首都ナイロビからはるばる3日間かけてやってきたエチオピアだが、ここの国に入国する前に準備しておかなければならないものがある。時間が前後するが、ここにまとめておく。

まずは、ビザ。今まで回ってきたアフリカの南部・東部の国々は、ビザが不要、もしくは国境でビザの取得が可能だった。しかし、エチオピアは国境でビザを取得することができない。そのため、ナイロビでエチオピア大使館に行ってビザを取得する必要がある。
アフリカ南部を旅行中に出会った人や、宿にある情報ノートから情報を入手していからこそよかったが、ビザを取得せずにエチオピアに行ってしまうと大変なことになる。なにせ、アフリカ縦断で一番過酷と名高いナイロビ-モヤレ間の移動を終えた後に、ビザがないのでエチオピア国境で追い返されることになる。そして再度ナイロビに戻って、ビザを取得した後にまたモヤレまで移動しなければならない。あの移動を3度もやらなければならないとは。。いったい何日かかるんだ?できればマネはしたくない。

また、僕のルートの場合はエチオピアからスーダンに入ってエジプトに渡るので、スーダンのビザも取得しなければならない。スーダンもエチオピアと同様に国境でのビザ発行は行ってくれない。エチオピアの首都アジスアベバでもスーダンのビザは取得できるらしいが、どれだけ時間がかかるのかわからないので、取得できるところで取得しておくというのが旅の鉄則だ。

さて、これで準備OKかというとそうではない。
エチオピアはダニ、ノミ、南京虫の格好の住処だ。いったい何人の旅行者から虫の被害話を聞かされたことだろうか。
そこで必要になるのが、1.ビニールシート 2.防虫スプレーだ。エチオピアではきれいに見えるベッド(あんまりない)でも虫が潜んでいる確率は大だ。ベッドにビニールシートを敷いて、その上に寝袋を広げて寝袋の中で寝るのがエチオピアでの基本的なテクニック。宿のベッドがめっちゃ汚く見えても、ビニールシートをかけてしまえば見えないので気分的にも楽になし、ビニールシートは必需品だ。もちろん、寝心地はよくはないが。。注意しておくことは、エチオピアは基本的にベッドのサイズがダブルベッドなので、大きなビニールシートを用意すべきだということだ。だいたい、2.5m×2mであれば十分だろう。大きなビニールシートでおいてある枕ごとベッドをすっぽり覆ってしまうのがコツだ。
防虫スプレーを持っていればビニールシートを敷く前に一度ベッドにかけておくべきだろう。ナイロビでは簡単に手に入れることができる。ここまでやっても虫の被害に遭う人もいるらしい。
また、虫に注意しなければいけないのはベッドだけではない。バスの中のカーテンやイスも危険だ。不安な人はバス用のビニールシートを買うか、虫が入ってこれないようなウィンドブレーカーのような生地の服を着るべきだろう。

エチオピア人は、僕らとはDNAが違うのか、生まれついてから免疫ができるのか知らないが、ダニがはびこっているベッド寝てもまったく被害に遭うことがないようだ。彼ら自身も理由は分からないらしい。というかなんでお前らかゆくなるの?って思っている。だから今後、もしかしたらエチオピアが発展したとしても虫の被害が減るという希望的観測は持たないほうがよいだろう。

これで大体準備はOK。上記はマスト事項だが、準備しておいた方がいいもがある。それは、食料。
エチオピアの主食といえば、インジェラだ。
ウィキペディアの写真では一見クレープのように見えるが、実際のものはところどころ灰色がかっていて、日本人旅行者の間では、「すっぱい雑巾」と呼ばれている。味が雑巾味なのではなくて、見た目が雑巾で、味がすっぱいのでそう呼ばれている。インジェラは人によって当たりはずれがあって、大丈夫な人は大丈夫らしい。しかし、ダメな場合には場所によってインジェラ以外の選択肢がないことがあるので、缶詰やスナックなど簡単に食べられるものを持っていくのがいいだろう。
ちなみに電熱コイルとコップで何か簡単に調理をしようと思っていても、停電のために電気が使えないことが多々ある。エチオピアでは停電は頻繁に起こっている。

最後に、実はこれが一番重要かもしれないが、旅行を楽しもうという気持ちと気力と体力を持ってエチオピアに臨みましょう。

2010年4月25日日曜日

エチオピアへの道 from Nairobi

今回の移動はケニアのナイロビからエチオピアの国境の町モヤレまでの約800kmだ。この移動の途中で特に見所がある場所はなく、途中にイシオロ、マルサビットという小さい町があるだけだ。南アフリカ・エジプト間の陸路縦断でこの道を避けることはできないが、ここではさまざまなうわさを聞く。

まずは山賊の出没だ。トラックドライバーの話によると山賊は身包みはがしてすべて持っていってしまうらしい。トラックを持っていってしまうやつは悪い山賊だが、トラックを見逃してくれるのはいい山賊だと言っていた。どっちも最悪だろって言いたいが、トラックが残っていればなんとか生き延びることはできるだろうから、まだマシかなとも思う。

モヤレ-ナイロビ間を南下してきた人たちに何人か会って話を聞いたところ、実際に山賊の被害に遭った人には会わなかった。しかし、ナイロビにたどり着いた人たちはみんな疲れ果てていて、ボロボロに汚れてしまった服をナイロビの宿で2度洗い、3度洗いしたりする人や、乗っていたトラックの揺れでパソコンが壊れてしまった人などいて、世界一周でこの移動が一番きついとの呼び声も高い。

この間の移動手段は大まかに3つある。値段はまちまちで大体の値段は書いたが言われる値段は人によって違ってくるだろう。
1. バス(2000Ksh) 2. ローリー(デカいトラック) 3. ランドクルーザー(四駆車)(2000Tsh)
さらに、ローリーについては運転手の横の助手席(2000Tsh)と、荷台の荷物の上(650Tsh)という2択がある。このローリーの荷台の上というのが一番きついとうわさされる移動手段だ。荷台の上の移動は一緒に乗る荷物に大きく左右されるらしく、動物が荷台にいる場合は特に最悪らしい。アフリカでは普通に鶏や羊をバスで運ぶ人がいたりするのでトラックの長距離で動物を運ぶって言うのはぜんぜんありうる話だ。しかし、その動物とたちと一緒に800kmもの距離を移動するってはちょっとなぁ。臭いもきついだろうし、バックパックに小便をかけられたなんて話も聞いた。
それならば、当然ローリーを選ばなければいい話なのだが、バスは不定期に出ているらしく、その日にバスが出るかどうかも分からないらしい。ランドクルーザーは運がよければ見つかるみたいなことを言われた。

不安ながらもナイロビを出発し、ランクルを見つける気まんまんでイシオロまでミニバスで行ってみたものの、ランドクルーザーはなかなか来ない。仕方なくローリーを見つけたが助手席はすでに満席。荷台もけっこう値段をふっかけられた。交渉したが荷物がデカいとか言われ、1,500Kshからなんとか800Kshにまで落とせたくらいだ。バスでもランクルでもなく、結局ローリー。しかも荷台の上って一番最悪の選択肢になってしまった。しかし、それでも荷台に動物がいなかったことが不幸中の幸い。
荷台の上に行くまでは2m以上あり、ローリーの横をよじ登っていかなくてはならない。バックパックを抱えて荷台に登っていくのが一苦労だ。しかし、上がってみれば荷物の上で寝転がっているケニア人たちが暖かく出迎えてくれた。アジアン顔が非常に珍しいようだ。しかもケニア人は流暢に英語をしゃべれる人が多いから助かる。

荷台の上は思ったよりも快適で荷物がかなり臭うし、寝る体勢はあまりよくないものの、体を伸ばして寝ることができた。逆に助手席は狭いスペースに6人も詰められてけっこう大変そうだ。バスでイシオロに到着したのはすでに夜中で、疲れていたのですぐに寝てしまった。

イシオロからマルサビットへの道は確かにボコボコではあるものの道のひどさはラオスの悪かった道とさほど変わらず、世界で最悪と言われるほどではなかった。マルサビットに着いたのは夜で、トラックを止めてみんなが休憩。休憩中に夕食を食べているとローリーの方で何かガタガタとやっているようだ。何かと思ったら、荷台に荷物をさらに積み出したのだ。屋根の高さギリギリまで荷物が詰まれ、今まで寝ていたスペースはなくなり、6,7人ほどの乗客が畳み2畳ほどの狭いスペースに押し込められることになった。けっこう快適なままモヤレ国境まで行けると思っていたのにとんだ誤算だった。マルサビットからは狭~いスペースにバックパックと一緒に押し込められながらも耐えていなければならなかった。それでも疲れるのできつい体制のまま寝たりしながらももう一日を荷台の上で過ごす。
翌日、ローリーが走り出さないのでどうしたのかと聞くと、先の道路で他のローリーがスタックしているらしく、これ以上進めないというのだ。おいおい、ここまで来てこれから先に進めないとはどういうことだよ!
どうやら数日前にエチオピア側のほうで降った雨の影響で、道に水が流れ込み、そこの道でスタックしたローリーが動けなくなったようなのだ。そのために他のローリーも道を通れずにいるようだ。
実際その場所まで行ってみると確かにローリーがスタックしている。道はひどくグチャグチャになっていて確かにスタックするよな~っていうところだ。ここまでひどい道はさすがに見たことがない。先頭でスタックしていた車は3日間スタックしているらしい。僕が乗っていたローリーはスタックしているローリーの10台以上後のところに止まっている。ここの道を10台以上のローリーが通り抜けられるのか、非常に不安だ。ローリーは早朝にスタックしている場所に着いたのにお昼の時間を過ぎても一向に動く気配がない。

そんな中で何台かのランクルがスタックしているローリーの脇を通り抜けていった。何度そのランクルに乗りたいと思ったことか。いいなぁ、ランクル。うらやましい。日差しの強い中何時間も待たされていたため水もどんどん減っていく。1.5Lでいっぱいだった水ももう1/4も残されてはいない状況だ。3日間スタックしていたローリーが今日脱出することができるだろうかと迷っていたが、3時過ぎにようやく先頭のローリーが脱出!この瞬間がどれだけうれしかったことか。


しかし、まだ喜ぶのは気が早い。自分のローリーが通るまでに10台以上の他のローリーがあり、応急処置の対応をした道がそう長く持つとは思えない。予想通り数台後のローリーで再度スタック。またみんなで必死に引っ張り挙げるといった状況だ。ようやくうちらのローリーがそこを脱出できたのは5時近くになっていた。しかし先頭のローリーが脱出に3日間かかっていたことを考えると、その日のうちに脱出できたのはラッキーだったのだろう。

その後はモヤレまで4時間弱。今日はケニア側に宿泊し、明日から一番恐れていた国エチオピアに突入することになる。

2010年4月21日水曜日

ヤラレタ at ニュー・ケニア・ロッジ in Nairobi

「ヤラレタ!!」

ナイロビの日本人宿、ニューケニアロッジのオープンスペースでゆったりと休んでいるときに別の日本人旅行者が叫んだ。
悪ふざけとかそういうわけではないらしい。その日本人旅行者がいた部屋には2人の日本人だけが泊まっていて、彼らのバッグやカメラなどがなくなっているということだ。バッグを盗まれてしまった1人は、スタンプやビザがつまったパスポートや今まで書き溜めた日記をなくしてしまったことにかなり落ち込んでいた。
彼ら2人はドミトリーと呼ばれる形式(ベッドが複数置かれていて1つの部屋に何人も宿泊する)の部屋に泊まっていた。しかし、彼らの部屋の宿泊者が2人だけだったので、部屋の外から彼ら自身の錠前を使って鍵をかけていた。それにもかかわらず、彼らは貴重品を盗まれてしまった。いったい何が起こったのだろうか。

ニューケニアロッジの彼らが泊まっていた部屋には、隣の部屋との間に扉があった。通常、この扉には鍵がかかっているので気にしないのだが、強盗はこの扉をこじ開けて隣の部屋から彼らの部屋に侵入したのだった。自分たちの鍵を使って部屋にロックをしていた2人は、まさかそんな形で強盗が起きるなんて考えていなかっただろう。もし僕があの部屋に泊まっていたら自分も同じ被害に遭っていたと思うとゾッとするし、被害に遭ってしまった人に対しては非常に気の毒だ。

この強盗で宿の中は大騒ぎ。宿泊している日本人は彼らにいろいろ協力しようとするのだが、なんせ宿の人がぜんぜん動かない。
ついさっき隣の部屋から出て行ったケニア人らしきカップルを目撃した人もいた。宿帳に通常泊まる人の情報を書いておくのだが、僕がこの宿に泊まるときはパスポートの確認さえしなかった。そんな宿で犯人と疑われるケニア人カップルが泊まる際にIDを確認しただろうか。宿の人には警察を呼ぶのをお願いしたり、ケニア人カップルのIDを確認したりお願いするが、助けようとするところがまったく見えないし、何かしてあげようという気もなさそうだ。自分がオーナーなのに彼らは私たちの責任ではなく運が悪かったんだの一点張りだ。

奪われてしまったカードを停止するために電話を使わせてほしかったのに、ホテルのオーナーは電話を貸すことさえプライベートのものだからという理由で拒んだ。使いたいなら使用する分のテレフォンカードを買って来いと言い張った。自分のホテルで起こった事件のことなのにまるで他人事だ。ここは日本人が泊まる宿としてバックパッカーには知られていて、かつて盗難宿として有名になったこともあったようだが、ここまでひどい宿だったとは思わなかった。

別の旅行者などと協力していろいろな連絡した結果、日本大使館の緊急連絡先に連絡したら、大使館員が来てくれることになった。これからすぐにタクシーで向かうとのことだった。なんと、素早い対応!!このときほど日本のサービスってすばらしいと思ったことはない。

少ししたら本当に大使館の人が駆けつけてきてくれた。2人の大使館員はビシッとスーツを着ていてかっこよかった。被害に遭った2人の話をしっかり聞いてくれて、宿の人にも注意を促していてくれたし、警察にも連絡してくれて、無理かもしれないとは言っていたもののナイロビ警察も調べにきた。(ちなみにナイロビの警察は腐敗していることが知られていて、ただの旅行者がお願いしてもちゃんと相手してくれるのかはわからない。)ほんとにこのときは日本の大使館員がすごい心強かった。

そんな混乱の最中、一緒に宿に泊まっていたパキスタン人も外から帰ってきた。強盗があったことを伝えて、自分の部屋をチェックしたほうがいいと言うと、「俺は大丈夫だ。俺の部屋には何にもないから」と笑い飛ばしていた。こんなときにもまったくおもしろいやつだ。そして日本の大使館員が来たことを見て、言ったことは、「俺がこうなった場合に確かなことが1つある。誰も俺のためには来ちゃくれない。」って。まったく、どこまでおもしろいやつなんだか。。何だかんだいってこういった惨事が起きた後に、そのパキスタン人はみんなにチャーイを振舞ってくれた。パキ人いいやつー。それに比べてオーナーはまったく何をやってんだか。。

数時間後、外に捨てられた日記などが発見された。現金、パスポート、バッグは見つからなかったがそれ以外の日記やクレジットカードなどはすべて戻ってきたようだ。盗られてしまったものは仕方がないがそれだけ発見されたなら不幸中の幸いという風に考えるしかないだろう。僕自身は昨日から熱を出していたので部屋で寝込んでいなきゃいけなかったのにそんなことさえ忘れてしまう事件だった。

盗難後、近くの捨てられていた日記など

[宿泊] New Kanya Lodge
[場所] P.O.Box 43444, Nairobi, Kenya
[料金] ドミトリー 500Ksh
[サービス] ホットシャワー、ガスコンロ、モーニング・チャイ
[コメント] 宿泊中に別の日本人が宿で盗難に遭う。対応は最悪。できれば泊まらないほうがよい。

2010年4月2日金曜日

ジンベイザメと遊泳 in Tofo

東南アジアを旅しているときや、ナミビアで会った旅行者からモザンビークはすごい、モザンビークに行けってことを何度か聞いていたんだけれども、実際何がきれいなのかどうすごいのかちゃんと聞かずにいたので特に用もなく通り過ぎようとしていた。しかし、かなりの高確率でジンベイザメやマンタに会えるという話を聞いてどうしても行きたくなり、タンザニアを目前にして、逆方向のモザンビークに立ち寄ることにした。
クモが何匹も巣を張っているような宿に泊まったり、バスの中に泊めさせてもらったりもしながら、ジンベイザメに会うためだと思い、3日間かけてマラウィからやってきた。
ジンベイザメにはダイビングで出会えるのだとばかり思っていたのだが、ジンベイザメは水面近くにいるためダイビングではなくシュノーケリングで一緒に泳ぐことになるとのことだ。そして、ジンベイザメのいるポイントを探したりする必要があるため、現地ではOcean Safari(オーシャン・サファリ)という名前のサービスで通っている。陸のサファリ、ボート・サファリとやってきたが、ここではオーシャン・サファリというわけだ。
ダイビングででっかいジンベイザメと一緒に泳ぐ予定でやってきたのだが、ダイビングでジンベイザメに会える確率はかなり稀だということでオーシャンサファリをやることにした。

オーシャン・サファリ1日目
12:30にダイブショップに行き、1通りの説明を受ける。ガイドは黒人で英語でしゃべっているんだけれど何を言ってるのかほとんど聞き取れなかった。というか、声が小さくてちゃんと聞こえない。ガイドでサファリの流れみたいなのを説明しているらしかった。
その後、ジンベイザメと及ぶ際の注意みたいなものをビデオで見せられてようやく海へ。船は想像よりもかなり小さくて左右に5人ずつ乗ったらいっぱい。荷物を置くようなところもなく、帽子やタオルを持って言われたにもかかわらず持っていった帽子やタオルは操縦かんの下に投げ込まれ、一切使うことができなかった。浜から海へ行くのでみんなで船を押して沖に出てからエンジンをかける。
ようやくサファリを開始して、獲物を探していく。このTofo(トーフ)から行く範囲で見られるのはジンベイザメ、マンタ、ドルフィンなど。大物がいると海面に影が見えるらしく、それを探すのがガイドの仕事だ。サファリの客たちもガイドと一緒に必死で影を探す。10分、20分、30分と経ったが一向に影は見つからず。。
1時間経っても何も見つからないのでちょっと海に入ってシュノーケリングをしようということになった。Tofoには巨大生物はいるけれども特にきれいな海というわけでもないので、たいした透明度もないところでスキューバをし、太陽に照らされ続けた体を少し冷やした。
もうあきらめ半分で船に戻り、来た道をもう一度探索しながら帰ったが、結局何も見つからず。ジンベイザメどころか、ドルフィンもマンタの影さえも見かけずサファリ終了。
一回につき$50近くもするサファリがまったく何も見つけられずに終了?しかもわざわざ3日間もかけてやってきたのに。。こんなのってあり?ガイドは申し訳なさそうに、「明日また行こう。こういう日はめったにないんだ」みたいなことを言って励ましてくれた。料金については受付に言ってくれれば考慮してくれるはずだみたいなことを言っていた。
ダイブショップに戻って明日の予約を入れながらディスカウントの交渉をしてみたが、受付では「私には何にもできません。そういうディスカウントはしません。保障はしません。」とばかり。I'm sorryとは言っているもののまったくその気持ちは見えず、すごい嫌な受付だった。
確かに自然界のことだから出会えないこともあるってのはわかるし、保障しませんと言うのはわかっているのだが、なんか違う態度のとり方ってのがあるでしょう!こんな受付のいるダイブショップは変えてやりたかったが、ガイドはいい人だったのでとりあえずもう一度そこでサファリをすることに決めた。


オーシャン・サファリ2日目
今日のガイドは昨日のガイドとは違って白人だった。話は昨日と比べてめっちゃわかりやすく、昨日こんなことを言われていたんだな~なんて考えながら話を聞いていた。昨日のガイドもいい人ではあったんだけどね。
昨日と同じ方法で海に行きサファリ開始。すると今度は20分を過ぎたころだろうか。大きな影を発見!ドルフィン?という声を背に海に入ってみると、いたジンベイだ!!すぐ近くいる!ジンベイの表面の点々がめっちゃ間近に見える!その後、数分間ジンベイと並行して泳いだ。続いて、2本、3本と一緒に泳ぎながらジンベイをいろんな角度から観察しなが泳いだ。その後、他のドルフィンなどは見つからなかったけれど、ジンベイに会えたことで大満足。
大きさは6m~7mくらいで、沖縄の中ら海水族館で見たのよりも大きかった気がする。ガイドの話ではジンベイザメのサイズとしては中くらいの大きさということだ。しかし、サファリで見られるのは小型の4mくらいのものが多いらしい。ジンベイは大きくなれば10m、12mという話を聞くが、ガイドでさえ10mのジンベイザメとは会ったことはないらしい。
今日も何も見れなかったらどうしようという不安も吹き飛び、わざわざトーフに来たかいがあった~。

[宿泊先] FATIMA'S NEST
[料金] ドミトリー 400Mt(約$12)
[サービス] 水シャワー、キッチン有り(包丁壊れてる。食器はめちゃ少ない。)

[モザンビーク国境情報]
要ビザ 1ヶ月 $30 アライバルでビザを取得可能。
モザンビーク通貨(メティカ)で払うと485Mt。
現在のレート($1=31.8Mt)から考えると、485Mtは$16くらいなのでメティカ払いはドル払いの約半額ということになる。少しばかり悪いレートでも国境でメティカを入手してからビザの代金を払う方が得

[移動] Nkhata Bay - Lilongwe
[交通手段] 大型直行バス
[価格] 1130MKW
[時間] 6:00 - 14:00

[移動] Lilongwe - ZALEWA
[交通手段] 大型バス(Blantire行きを途中下車)
[価格] 850MKW(言い値は1100MKW)
[時間] 15:00 - 19:30

[移動] ZALEWA - マラウィ・ボーダー
[交通手段] ミニバス
[価格] 400MKW(言い値は500MKW)
[時間] 45分程度

[移動] マラウィ・ボーダー - モザンビーク・ボーダー
[交通手段] 乗り合いタクシー
[価格] 130MKW
[時間] 5分程度

[移動] モザンビーク・ボーダー - Tete
[交通手段] ミニバス
[価格] 100Mt
[時間] 2時間程度

[移動] Tete - Maxixe
[交通手段] 大型バス(Maputo行きを途中下車)
[価格] 1250MKW(マプトまでと料金変わらず)
[時間] 4:30 - 20:00

[移動] Maxixe - Inyambane
[交通手段] ボート
[価格] 20Mt(人10Mt + 荷物10Mt)
[時間] 20分程度

[移動] Inyanbane - Tofo
[交通手段] ミニバス
[価格] 30MKW(人15Mt + 荷物10Mt)
[時間] 1時間程度