ヴァスコダ・ガマが航路を発見したころは歴史上では大航海時代と呼ばれ、ポルトガルやスペインなどが競って地理上の発見を成し遂げていった時代だ。その航海技術の発展は単に地理的、科学的好奇心からではなく、経済的な問題が原因となったと考えられ、オスマントルコの台頭が関係している。
オスマントルコが台頭してくる前、モンゴル帝国が広大な範囲で栄えていた。モンゴル帝国が広く繁栄していた時代は欧州とアジアとの貿易が活発であったが、モンゴル帝国も同様に衰退し、それを機にオスマントルコが台頭していった。オスマントルコの台頭により、欧州はアジアと結んでいた貿易航路(地中海をとおり航海に抜ける)を奪われてしまった。
欧州はオスマントルコの台頭によってアジアとの貿易する手段がなくなってしまったが、その問題を解決すべくアジアへの航路を発見するために、競って海の航路を開いていったとされている。その中でヴァスコダ・ガマは喜望峰を通ってインドへと航海する航路を見つけた。だから、喜望峰は地理上の端にある拠点というだけでなく、欧州とアジアを結ぶ岬としての意味がある。
それと、よく誤解されていることだが、喜望峰はアフリカ最南端の岬ではない。喜望峰より少し離れたところにあるアグラス岬がアフリカの最南端で、喜望峰は最西南端の岬だ。ケープタウンからのアクセスのしやすさや、歴史的にも喜望峰が有名なため観光客もこちらは多い。アグラス岬はどんななのかは行かなかったからわかりません。
[宿泊先] Cat and Moose Backpackers Lodge
[住所] 305 Long Street, Cape Town, South Arica
[料金] ドミトリー R110(日本人にはおまけしてくれてR100。それでも¥1200だけど。。)
[URL] http://www.catandmoose.co.za/
[サービス] ホットシャワー、有料Wi-Fi (R10/h)、キッチン

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